大船遺跡(2021.10.15及び2022.06.23撮影)

大船遺跡は函館市の大船町にあって雄島半島の内浦湾を望む海岸段丘に位置しており、縄文時代前期の後半(約5200年前)から中期後半(約4000年前)頃まで営まれていた拠点集落です。
遺跡からは100棟を超える竪穴建物が発見されており、住居跡と盛土遺構が分布しています。中には住居跡が重なり合って発見されているものもあり、また、遺跡の南西部には墓や貯蔵穴を含む100基以上の土坑墓群も確認されています。
 
      
 
   
 

 



石皿

石皿は木の実を調理するための道具の一つで、叩き石と磨石(すりいし)を用いて、木の実を石皿の上に載せて叩き石で割り、磨石ですりつぶしていきます。
長く使っていると窪んでくるとのことですが、写真中央の石は相当窪んでいますけど、どけだけ年月がかかったんでしょうね。
日本では現在使われていませんが南米ではまだ用いているところがあるとのこと。
 
    
 
  再現された竪穴住居は、発掘したときに判明したクリの木を用いて再現されています。
 
 
  建物跡の内部は床が深く彫り込まれています。建物によっては彫り込まれて深さが2mを越えるものもあるようです。
 
 
    
 
  茅葺き屋根で復元された竪穴建物
 
 
  建物の中を見ると奥に炉の跡が見えますが、手前の緑色の部分は小さな土坑のようですけど、祭祀にかかわるものではと考えられています。
 
 

 

 



上の写真の建物跡には大きな柱跡があり、中央は一段下がって深く掘られています。その縁には小さな石が4個置かれており、土器のようにな物が埋められています。(左の写真)この場所は祭祀の場所であったのでしょうか。
 
  重なり合う住居跡
竪穴建物の耐用年数は10年くらいであったと考えられており、廃絶した建物跡は埋め戻していたようですが、1,000年以上もこの地で暮らしていたわけですから、何世代か後には同じ場所に建てることもあったのでしょうね。
 
 
  盛土遺構
長期間にわたって土器や石器が捨てられていた所ですが、火を焚いた後や人骨が見つかっているとのことで、単なるゴミ捨て場ではなく、道具や食べ物の魂、そして墓場でもあったのではと推測されています。
この盛土からは、マグロやサケなどの魚類の骨の他にクジラやイルカ、シカなどの哺乳類の骨、クリやクルミなどの木の実の残骸も発見されたようです。
 
 
  管理棟に入ってみます。
 
 
  管理棟の中には遺跡の全体を示す模型があります。
 
 
  数は少ないですが、出土した土器や石器そして木の実なども展示されています。(下の写真も)
 
 
 


 
 
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