垣ノ島遺跡

大船遺跡から車で約10分位走った、函館市の臼尻にある垣ノ島遺跡は、北海道内にある遺跡としては最大規模の遺跡で、約9,000年前の縄文時代前半から約3500年前の後期後半に至るまでの長い期間に亘っての縄文集落の変遷と生活の痕跡が確認できるとのことです。
2021年のツアーでおずれた際はガイダンス施設の縄文文化交流センターのみの見学となり、遺跡そのものの見学はできませんでしたが、今回はしっかりと見ることができました。
 
 
 
  
 
     
   
  盛土遺構から見る 縄文文化交流センター
 
 
   
  竪穴住居跡
 
 
   
  縄文文化交流センターで行っている体験メニューでは遺跡の発掘体験をさせてもらえます。
これを見ると今から65年ほど前に遺跡の発掘に携わっていたことを思い出します。
  
 
   
  盛土(もりど)遺構
少しわかりにくい写真ですが、右側2人の足元は見えるのに、正面奥にいる二人の人の足元が見えないのがわかります。ここ垣ノ島では長さが150m近くある遺構が発見されており、ここには土器や石器が埋葬されていました。
 
 
   
  直径が1m近くある二つの遺構。もしかして柱を立てていたのでしょうか。
 
 
   
   
   
  函館市縄文文化交流センター
大船遺跡や垣ノ島遺跡の整備・管理等を行うとともに、北海道発の国宝となった中空土偶や重要文化財に指定された出土品をはじめも約1,200点が展されています。
 
 
   
     
   
  大船遺跡や垣ノ島遺跡から出土した土器が展示されています。
  
 
   
  大船遺跡から出土した石皿
 
 
   
  垣ノ島遺跡から出土した中期と推定される青龍刀型石器
 
 



縄文時代早期の墓から出土した漆糸製品

仰臥屈葬で埋葬されていたと思われる遺体は腐食により残っておらず、頭部、両肩、両腕に当たる部分から漆糸製品が発見され、放射性炭素による年代測定(AMS)を行った結果、約9000年前に作られたものであることが判明しました。
これまで漆文化の発祥は中国の河姆渡(かぼと)遺跡から出土した約7000年前のものが一番古いとされ、日本には中国から伝わったとされていましたがこれが覆されたということのようです。
 
 
   
  アスファルトが付着した土器や石器

アスファルトは世界的にももっとも古くから利用されていた鉱物資源で、メソポタミアでは建物の補強用に、エジプトではミイラづくりにも使われていました。
日本では「燃ゆる土」として越の国(新潟)から天智天皇に献上したことが日本書紀に記されており、江戸時代には「草生水(くそうず)」と呼ばれてました。
縄文時代にはその膠着性を利用して壊れた土器の修復や弓矢の矢柄と石鏃の接合などの接着剤として使われていました。また。水に溶けない性質から釣り針と糸の結び目の補強など漁具での使用も行われていました。
 
 
   
   
  アシカ(左側)やオットセイ(中央)の骨  
   
  アスファルトが付着した土器類(中央より右側)と石器(中央より左側)
 
 
   
  足型式土版
垣ノ島遺跡から出土した縄文時代早期のもので、生後1歳から2歳の子供の足形を付けて作られており、孔がついていることからお守りとして用いられていたのではないかと考えられています。

 
 
 
 
 



国宝「茅空(かっくう)」(上の2枚の写真)

著保内野遺跡(ちょぼないのいせき)から出土した、約3200~3500年前の縄文時代後期後半の中空土偶の出土遺物で、北海道で初めての国宝に平成19年(2007年)に指定されました。
 
 
      
      
      
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