中津城(2014.12.07撮影) 大分県中津市の周防灘に注ぐ中津川の河口に築かれた中津城(別名:中津川城、扇城、小犬丸城、丸山城)、濠には海水が引き込まれているため水城ともされ、今治城(愛媛県今治市)・高松城(香川県高松市)と並ぶ日本三大水城の一つに数えらています。 城は安土桃山時代の天正16(1588)年に豊臣秀吉より豊前12万3千石を与えられた黒田孝高(官兵衛 出家後は如水)がこの地に築城を開始、関ヶ原の戦いで徳川方につき戦功をあげた黒田孝高は城が完成する前に筑前50万石を賜って名島城(福岡市東区)に転封されて築城は中段。豊前、豊後39万9千石を賜った細川忠興が入城して築城を再開し、細川忠利が藩主となった元和7(1621)年に扇形の縄張りで漸く完成に至りました。 その後寛永9(1632)年に加藤清正の改易に伴い細川氏が熊本に転封となり、播磨龍野藩(兵庫県たつの市)より小笠原長次が8万石で入封して中津藩が成立。しかし小笠原氏は二代藩主の長勝、三代藩主の長胤と悪政が続いて改易となり、丹後宮津藩より奥平昌成が10万石で入封以後奥平氏の居城として明治維新まで続きました。 明治維新後は廃藩置県により中津県の県庁となった後に小倉県に併合され中津支庁が置かれましたが西南戦争により焼失。現在ある模擬天守は昭和39(1964)年に旧藩主の奥平家と市民の寄付により建造されたものです。 |
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模擬天守と大鞁櫓 |
中津城の縄張りの案内地図 |
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模擬天守は本丸上段の北東隅櫓跡(薬研堀端)に観光開発を目的に、山口県の萩城の天守をモデルに外観は5重内部5階(5重5階)の鉄筋コンクリート構造で建てられ高さは23mあり、奥平家歴史資料館として内部公開されています。 | ||||||||||
鉄御門跡 中津川に面したところに当時鉄御門と櫓が案内地図にありますが、現在は埋め立てられ金比羅宮が建てられています。 |
金比羅宮の中には木製の大きな魚があり山車の上に乗っています。魚の額には「海上安全」、「大漁満足」とありますのでこの地の漁師さんが奉納したものでしょうか | |||||||||
鉄御門付近の石垣、現在は道路と河川敷公園になっていますが当時は中津川がここまであったようです。 | ||||||||||
本丸北面の薬研濠に面した石垣に黒田氏の石垣(右側)に細川氏が石垣(左側)を継いだ境が見られるます。黒田氏が築いたこの石垣は近世城郭の中では九州最古のものです。 | ||||||||||
薬研濠越しに見る大鞁櫓と模擬天守 | ||||||||||
椎木御門跡 二の丸から本丸に抜けるところにある門で、案内図によれば当時は枡形になっていたようですが、今はその面影もありません。 |
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三斎池と天守閣 黒田氏のあとに中津城主となった細川忠興は家督を忠利に譲った後に名を「三斎」として隠居して小倉城から中津城に移り城内の整備にあたったが、この際に城内の用水不足を解消するため水道工事を行いその水をたたえたのがこの池とされています。 |
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奥平神社とその由来記 | ||||||||||
中津大神宮とその由緒記 | ||||||||||
扇城神社とその由来記 | ||||||||||
穴太積みの石垣 織豊時代(安土桃山時代)に活躍した石工の集団である穴太衆によって造られた現存する近世城郭の中で最も古いといわれる穴太積の石垣で、未加工の自然石が使われています。 |
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