高松城と栗林公園(2012年11月7日撮影)

高松城

香川県高松市にあり、日本100名城の77番に選定されている高松城、は別名「玉藻城」と呼ばれていますが、これは万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことから周辺の海域を玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとのことです。
高松城は、岡山県備中市にあった備中高松城と区別するために「讃岐高松城」とも呼ばれています。
高松城は豊臣秀吉が四国を制圧した後の天正15年(1587年)に、讃岐の領主として任された生駒親正が当時「野原」と呼ばれていたこの地に築城した海城です。城は瀬戸内海の海水を直接外濠・中濠・内濠の全てに引き込んだもので、水軍の運用も視野に入れかつ水攻め、水断ちにも対処できるもので天正18年(1590年)に完成しました。
その後生駒氏は出羽矢島藩に転封となり、代わって城主となったのが水戸黄門で知られる徳川光圀の兄松平頼重で、以後幕末まで松平氏による治世が続きました。天守閣は明治の廃城令後老朽化のため破却されておりその後復元されていません。
この高松城は、大分の中津城、愛媛の今治城とともに日本三大水城のひとつに数えられています。
旭橋と旭門
中濠にある橋と門で、旭門は実質的な大手門にあたります。
 
埋門(うずみもん)
旭門を入った枡形の北側にある非常用の門ですが、他の城の埋め門と少し造りが違っています。
 
艮櫓(うしとらやぐら)
もともとは旧東の丸にあった櫓で北東の方角を丑寅と詠んでいたことからこの名がつけられたものですが、所有者であった旧国鉄より昭和40年に高松市が譲り受け、太鼓櫓がおかれていたこの場所に移築したもので櫓の完成は延宝5年(1677年)ころといわれており、重要文化財に指定されています。
 

玉藻公園駐車場から見る艮櫓

桜の馬場側から見る艮櫓
 
  桜の馬場から見る桜御門跡
桜の馬場は藩士の馬の教練をしたところで現在の倍の広さがあったようです。また桜御門は三の丸への入口となっており櫓門がありましたが昭和20年の高松空襲で焼失したままとなっています。石垣は当時のままですが空襲による火災の跡が現在も残っています。
 
       
披雲閣(ひうんかく)
高松城の天守は小さかったため藩の政庁及び藩主の住居として使われていたのがこの披雲閣で、元の建物は現在の倍の約3700uもあったとのことですが、明治時代に老朽化したため取り壊し大正6年(1917年)に再建されたものです。(重要文化財指定)
 
披雲閣の内苑御庭
 
ど根性松
渡櫓跡のそばにある景石の亀裂に入った松の種から芽が出て約18年ここまで育ったとのことですが、どこまで育つのでしょうね。
ガンバレッ!!
 
内濠(下左)と水門(下中及び右)
当時とは違う構造なのかもしれませんが、瀬戸内海の海水を内濠まで引き込む水門が設けられており、潮の干満による水位の変化をこの水門で調節していたとのことです。
 
 
 
 
天守閣の石垣
創建時の天守閣は三層であったとされており、松平氏が寛文年間に改築した天守閣は三層五階の南蛮造り(唐造りともいうようです。)で四国地方最大の天守であったといわれています。
現在市では発掘調査を行っており、また明治時代の天守閣の写真も数葉発見されたとのことから復元の期待が高まっているようです。
 
鞘橋
二の丸と本丸をつなぐ唯一の橋で創建当時は普通の欄干橋でしたが、江戸時代中期にこのように屋根付の橋に替えられていたとのことです。
 

内苑御庭から撮影

二の丸跡から撮影した鞘橋の門
        
月見櫓・水手御門・渡櫓
月見櫓は北の丸に延宝4年(1676年)に隅櫓として建てられ、藩主の帰城をこの櫓から確認していたことから着見櫓とも呼ばれていたようです。中央の水手御門は薬医門形式で造られており、海城としての大手門にあたります。いずれも重要文化財に指定されています。
 

干潮のため内濠の水がほとんどありません。

城内から見る月見櫓
 
報時鐘
城外の玉藻緑地にあるこの報時鐘は初代藩主松平頼重が領民に時を知らせるため承応2年(1653年)に建てたものですが、最近移築されたものです。
 
栗林公園
 
高松城から南に約2.5km離れたところにある栗林公園、寛永2年(1625年)頃に讃岐の領主生駒高俊により造営されたものが、生駒氏のあとに入封した松平頼重に引き継がれ、以来松平氏が五代約100年をかけて完成したもので、当時は下屋敷として使用されていたものです。廃藩置県後は明治新政府の所有となり、明治8年に県立公園として一般公開され現在に至っています。

国の特別名勝に指定されている庭園の中では最も広い庭園で、ミシュランガイドで「わざわざ訪れる価値のある場所」として最高評価を受けたことのある庭園です。
入園時に貰ったパンフレットに園内を全て見て周るには2時間が必要とのことでしたが、南湖と北湖を中心とするモデルコースで周ってみました。
 
 
梅林橋
近くに梅林があったことからこの名がついたといわれ、別名「赤橋」とも呼ばれており、北湖と西湖をつなぐ掘割に架けられています。
 
 
 
 
偃月橋(えんげつきょう)
園内には15もの橋が架けられていますが、その中で最も大きい橋で、南湖に架けられています。偃月とは「弓張月」つまり半月のことを言っていることから名づけられたようです。

 
掬月亭(きくげつてい)
江戸時代に立てられた数奇屋書院造りの茶室で歴代藩主が好んで利用したところといわれています。
 
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