モンテネグロ

「黒い山」を意味した国名のモンテネグロ、その名の由来は面積はアドリア海に沿いから見える山々の木々が黒っぽく見えることからつけれられたとのことであり、自然豊かな国を物語っています。
国は17世紀末に国家形態が作られ1852年にモンテネグロ公国として成立しました。これを契機に宗主国であったオスマン帝国と衝突次第にロシア帝国の支援を仰ぐようになり1878年ベルリン条約で独立が承認されました。
その後1915年に発生した第一次世界大戦ではオーストリア・ハンガリーに占領され、戦後の1918年に成立したスロベニアジン・セルビア人・クロアチア人国(後のユーゴスラビア王国)に取り込まれユーゴスラビア社会主義連邦共和国の連邦を構成する6つの国のひとつとしてモンテネグロ人民共和国、1963年にはモンテネグロ社会主義共和国として存続していました。
1991年にユーゴスラビア紛争が勃発した際には最後まで連邦国から離脱せずにセルビアと歩調を合せていましたが、2006年6月にセルビア・モンテネグロから独立したという経緯があります。
調べていた解ったことに日露戦争当時、モンテネグロ公国はロシアの統治下にあり1905年に日本に対して宣戦布告しているということです。この時モンテネグロは実際には戦闘に参加しなかったことから、その宣戦布告は無視され、講和会議には招かれず、そのため国際法上は、モンテネグロ公国と日本は戦争を継続しているという奇妙な関係にあったということですが、政府としては同国の独立に際し「モンテネグロ国が我が国に対して宣戦を布告したことを示す根拠があるとは承知していない。」としています。
 
   
   
 
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