ワイマール

ドイツ語で、「聖なる泉」という意味だといわれる名のワイマール(「ヴァイマール」または「ヴァイマル」とも表記されます。)、ライプツィヒから南西に130kmほど離れたところにあるテューリンゲン州の都市で、神聖ローマ帝国時代にはザクセン=ヴァイマル公国の首都という歴史があり、18世紀末から19世紀のはじめにかけてドイツ古典主義の中心地となっていた町です。
我々は学校時代に「ワイマール憲法」という言葉を聞いたことがあますが、ここワイマールが第1次世界大戦後の1919年に制定されたドイツ国憲法の制定会議が行われた町です。(ワイマール憲法は第2次世界大戦でのドイツの敗戦で無効化されています。)
ここワイマールはゲーテの生地であるフランクフルトからライプツィヒまで続く約400kmの「ゲーテ街道」のライプツィヒ寄りにあるゲーテ終焉の地でもあり、ゲーテ、シラー、リスト達が住んでいたところで、「古典主義の都ワイマール」として1998年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
(下記の写真中世界遺産に登録されているのは「ゲーテの家」、「シラーの家」、「寡婦宮殿」、「聖ペーター・聖パウル市教会」です。)
 
    
マルクト広場に面してネオゴシック様式で建てられた市庁舎があります。そしてその前にはネプチューンの噴水があります。     
 
        
リストの家
イルム公園のそばにあるこの家は、1811年にハンガリーで生まれピアニストであり作曲家フランツ・リストが、1848年から1859年までこの地の宮廷楽長を務めながら作曲を行っていた家です。
 
 
 
     
クリストフ・マルティン・ヴィーラント像
ヴィーラント広場に建つこの像は、ドイツの詩人・翻訳家・作家で、ゲーテやシラーなどと並びドイツの古典主義時代において重要かつ大きな影響力を持った人物の一人です。
ヴィーラントは、自書『黄金の鏡』がヴァイマル公国の公妃アンナ・アマーリアの目に留まって、1772年に2人の息子アウグストとコンスタンティンの教育係として招かれ、1775年まで教育係を務めたのちもここワイマールに留まており、ゲーテやシラー、ヘルダー達がが招かれたこともあって、これらの人物との交流を持ち続け、古典主義文学の発展に寄与していました。
   
     
ゲーテの家(ゲーテ国立博物館)
1749年にフランクフルトで生まれた、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテは、26歳の時の1775年の11月にカール・アウグスト公の招請を受けてこの地に移りました。
移住後はワイマール公国の政務を行い、1782年には神聖ローマ帝国の皇帝ヨーゼフ2世により貴族に列せられ、以後名前に「フォン」がついて、「ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ」と呼ばれるようになっています。
そのころにゲーテはこの家に移り住み、1788年に公務を離れても一時的にイタリアに出かけることはあっても、1832年に82歳の生涯を終えるまで56年間ワイマールで過ごしていました。

「フォン(VON」はドイツ語圏で、王侯、貴族達の姓の初めに関する称号です。
   
     
   
        

                     数々の名作を生みだした書斎
 
           隣の部屋は書庫となっていてものすごい数の蔵書があります。
 
     
  ゲーテは死の直前まで『ファウスト』第2部の完成に力を注ぎ、完成後の1832年3月22日、このベッドで「もっと光を!」を最後の言葉としてこの世を去ったといわれています。  
     
シラーの家
ゲーテの家からわずか3分足らずでシラーの家に着きます。
ゲーテと並ぶドイツ古典主義の代表者であ詩人、歴史学者、劇作家のヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・シラーは、1759年にドイツ西南部にあるヴュルテンベルク公国の小さな田舎町マールバッハで生まれで、21歳の時に『群盗』を発表してデビューしています。
1799年にワイマールに移りそれまで交流のあったゲーテとの親交を深め、代表作をこの地で発表していましたが、1805年の5月1日ゲーテとともに劇場に赴くも体調不良を訴えて途中で帰宅、5月9日この自宅にて亡くなりました。
   
     
寡婦宮殿
ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公国のエルンスト・アウグスト2世の妃であったアンナ・アマ―リアが結婚後2年で亡くなった夫の没後に住んだ宮殿で、1767年に建造されたもので、現在はヴィーラント記念館として使われています。
   
    
国民劇場
1774年に創設された劇場で、ゲーテやシラー達が自作のオリジナル演劇作品を上演した歴史ある劇場で、ゲーテの「ファウスト」やシラーの「ウィリアム・テル」が初演されており、「ワイマール憲法」もここで採決が行われました。
建物は幾たびか火災により焼失しており、現在の建物は1907年に建てられたものです。
劇場前の広場にはゲーテとシラーの銅像が建てられています。
   
 
             
聖ペーター・聖パウル市教会
単に「市教会」または「ヘルダー教会」とも呼ばれるこの教会は、1500年にゴシック様式で建てられ、18世紀にバロック様式に改築されたいます。この教会には、若き時代のゲーテをはじめとするドイツ古典文学やドイツロマン主義に多大な影響を及ぼしたヘルダー(ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー)のお墓があります。
教会の前にはヘルダーの銅像があります。
   
 
   
  街中には若い女性の馭者の観光馬車が走っています。駐車場から旧市街に入るときに見かけた馬車の御者さんに、添乗員を含めて男性全員が「若くて美人だ!」の声。
「街中でまた会えるかな」なんて噂していましたらヘルダー広場で発見。お願いして写真を撮らしてもらいましたが、さすがに正面からは撮れません。
 
     
  ちょっと変わった噴水
右にいる子供が乗っている台のようなもの、これを踏むと水が噴出するようになっていますが、体重の軽い子供ですとちょっとしか出ません。青いシャツの後ろに弟がいるんですけど、その子が乗ってもほとんど出てきません。ジャンプして負荷をかけると勢いよく出てきます。
 
     
  街中には犬と猫用の水飲み場がこうして置かれています。
右の写真は何だと思いますか?公園に置かれていたものですが、犬の糞を始末するために黒いビニール袋が置かれていて、ビニール袋に入れて上から投げ入れるようになっています。フランスなんかですと、町中を歩くときは犬の落とし物に気を付けないとだめですけど、こうしてくれれば衛生的にも、町の美観にもいいですよね。
 
 
   
  今時日本の公園では見かけないような簡素な公園です。
ジュングルジムと思われるものは木製ですし、日本の親は砂場では、犬や猫の糞で汚れているので、子供を遊ばせないようにしていると聞いていますけど、こちらではどうなんでしょうね。
 
   

               プラタナスの並木が続くフラウエントール通り
 
 
     
     
       トップページに戻る      ドイツその2に戻る       ドレスデンとマイセンを見る