ドレスデンとマイセン
 
ドレスデン
 
2007年の11月以来2度目の訪問となるドレスデンです。
ザクセン州の州都であるドレスデンはドイツ東部、エルベ川の両側の平地にある町で、13世紀のはじめにはドレスデネ(Dresdene)という名で歴史に現れており、14世紀の半ばには右岸の地区が「古ドレスディン(Antiqua Dressdin)」という名称で都市権を与えられています。
ドレスデンは15世紀末にアルベルティン家の宮廷都市として栄えはじめ、18世紀初めのアウグスト1世(アウグスト強王)の時代最も発展し、19世紀初めにはザクセン王国の首都となっています。第二次世界大戦では連合軍の徹底した爆撃(ドレスデン爆撃)により町の中心部はほぼ壊滅状態となりましたが、現在では歴史的建造物の再建も進みドイツ有数の都市とし賑わい始めています。
ドレスデンの旧市街は、「ドレスデンのエルベ渓谷」として2004年にユネスコの世界文化遺産に登録されましたが、登録以前から計画が進められていた橋(ヴァルトシュレスヒェン橋)の架橋が本格化するにつれ、ユネスコは危機遺産リストに登録し、架橋した場合は世界文化遺産から除外するとの警告を行いました。しかしながら、2007年には建設工事が再開され始めたため、2009年の委員会で抹消が決議されています。
 
    
フラウエン教会(聖母教会)
ノイエマルクト広場(新広場)にあるこの教会は、プロテスタントのルター派の大聖堂としてバロック様式にて1743年に完成。大きなベルの形をしたドーム屋根が特徴です。
教会は1945年2月13日のドレスデン爆撃を2昼夜にわたって受け、焼夷弾の被弾に耐えていましたが、2月15日に崩れ落ちてしまいました。
その後45年間にわたって瓦礫の山と化していましたが、世界中からの寄付金により、瓦礫から掘り出したオリジナルの部材をコンピューターを活用して可能な限り元の位置に組み込むジグソーパズルのような作業を重ねて2005年の10月に復元されたものです。

写真の中で黒ずんでいる部分は、爆撃を受けた古い教会の石です。
広場には宗教改革の中心人物で、プロテスタントの源流をつくったマルティン・ルターの銅像があります。
   
 
          
ドレスデン城 (レジデンツ宮殿)
12世紀末ごろよりザクセン選帝侯の居城として代々用いられてきましたが、ドレスデン爆撃により大きな被害を受け2006年に修復が完了したものです。
   
        

ツィンガー宮殿より撮影
 
アウグスト1世像
 
 
 
 
   
   
ドレスデン城の武芸競技場(シュタルホーフ)裏の壁には君主の行列と呼ばれるタイル画があります。
24000枚以上ものマイセン磁器タイルを用いて長さ102mにわたって1907年に造られたもので、アウグスト強王をはじめとするザクセン代々の選帝侯や国王35人が描かれています。このタイル壁画はドレスデン爆撃の際にも被害を免れているとのことですので、マイセン磁器の強さを証明しているのかもしれません。右の写真の中心にいる人物はアウグスト2世(黒い帽子)です。
 
      
カトリック宮廷教会
この教会は、アウグスト3世の時代の1739年から1755年にかけてバロック様式で建てられたもので、カトリック信者であった歴代のザクセン候の墓があります。
ドレスデン爆撃で教会は大きく破壊されましたが、1965年にほぼ修復が完了しています。
   
     
アウグストゥス橋
ドレスデンはプラハやライプツィヒの間の交易ルートの中間あたりにあり、エルベ川に架かるこの橋は13世紀末には最初の橋が架けられていたようです。その後何回か架け替えられて18世紀半ばに架け替えたときにアウグストゥス橋の名が付けられました。しかし第2次世界大戦時の1945年にドイツ軍によって爆破されており、現在の橋は1949年に再建されたものです。
(写真はブリーリュのテラスより撮影)
   
     
   
ブリュールのテラスからの眺望
ブリュールのテラスは、ドレスデン城の城壁跡に約1kmにわたって造られた遊歩道で、ザクセン選定候からこの地を譲り受けたブリュール男爵が1814年に造営したもので、この地を訪れたゲーテはその景観や配置された彫刻のすばらしさから「ヨーロッパ随一のテラス」と称賛したといわれています。
対岸にはザクセン州財務省(下左)とアルベルト橋とザクセン州首相府(下右)が見えます。
 
   
       
ドレスデン美術大学
ブリュールのテラス沿いに建つこの大学は、1764年創立の国立大学で、ドレスデンでは最も古い大学です。現在の校舎は1894年に建てられたもので、中央には「レモン絞り機」と呼ばれているガラスドームがあります。
   
 
     
ゼンパー・オーパー(州立歌劇場)
1841年に新古典主義様式で建てられた宮廷歌劇場で、東ドイツ時代は「ドレスデン国立歌劇場」とも呼ばれていました。ここではワグナーが指揮者を務めたこともあり『タンホイザー』が初演されています。歌劇場はドレスデン爆撃により大きな被害を受け、瓦礫の山となりましたが、1985年に再建されています。
ゼンパ―オーバーの前の広場にはこの歌劇場を造るよう命じたザクセン翁ヨハンの騎馬像が置かれています。
ゼンパー・オーパーは愛称ですが、これは設計者であるゴットフリート・ゼンパーの名からついたもので、彼の銅像(右の写真)は要塞博物館のそばに建てられています。
   
 
     
ツヴィンガー宮殿

宮殿のある場所は、ザクセンの貴族たちが馬上試合などを行う祝祭広場でしたが、1719年ザクセン選帝侯のアウグスト1世(アウグスト強王)により、ドレスデン城のそばに庭園付きで建てられた宮殿で、設計者のダニエル・ペッベルマンはヨーロッパ各地の宮殿を見学して設計し、ドイツ・バロック建築の傑作といわれる宮殿を設計しました。
その後も宮殿は手を加えられ、収集された美術品も保管されるようになり、それらはドレスデン美術館に収蔵されています。(宮殿内にもドレスデン美術館を構成する美術館のうちのひとつである「アルテ・マイスター絵画館」があります。)
宮殿は、ドレスデン爆撃で大きな被害を受けましたが、戦後補修が続けられ1963年には被害を受ける前の姿に戻っています。
   
     
王冠の門
宮殿の中に入ると中庭にある噴水の先に王冠の門が見えます。中庭からではわかりにくいので門をくぐり抜けてみました。門を潜ったところに池があって橋を渡るようになっています。
     
 
     
 ドレスデン城側の入口の門の上には時計があり、その両側にはマイセン焼きののカリヨンがあり、30分おきに鳴り響きます。ます    
 
     
   
中庭  
     
アルテ・マイスター 絵画館のうち何点かを撮影してみました。

     
       ジョルジョーネ『眠れるヴィーナス』    フェルメール『遣り手婆』   レンブラント『放蕩息子の帰還』
 
   
 
 
 
マイセン
 
ドレスデンで昼食をとりマイセンについたのは午後1時過ぎ、ここマイセンはかの『マイセン焼き』で有名なところで、ツアー予定表では観光は行わず、マイセン陶磁器工房の見学となっています。マイセンを訪れるツアーはいずれも工房の見学で、町中の観光は予定に組み込まれていないみたいです。前回訪れたときも同じでしたが、前回は少しだけ中に入って見学してから女房と二人で街中を散策しましたが、今回ははじめから添乗員さんに言ってアルブレヒト城まで行ってみることにしました
 
     

                       マイセンビジターセンター
 
                         マイセンの街並み
 
     
フラウエン教会(聖母教会)
マルクト広場に面して建てられたこの教会は13世紀のはじめに建てられ、鐘楼は16世紀の半ばに落雷により損壊し、その後再建されたもので、1929年には塔にマイセン磁器で造られたカリヨンが設けられ、現在に至るまで毎日6回街にその音を響かせています。
     
 
     
旧市街の中心マルク広場はそんなに広くありません。左手の白い壁の建物は市庁舎で、その左側の道を往くとアルブレヒト城に着きます。    
   
  マルクト広場から坂道を上ること約5分、アルブレヒト城の城門が見えてきましたが、下では青空だったのに黒雲が出て少し雨が降ってきました。傘持ってないのに!!
癪だからそのままお城まで登ります。
左はブルク通りから見るマイセン大聖堂
右はシュロス橋から見る城門
 
 
   
 
アルブレヒト城
このお城は929年に東フランク国王ハインリヒ1世によって最初の城塞が建てられ、城の近くを流れるマイザ川の名に因んで「ミスニ城」と名づけられました。その後10世紀半ばにはマイセン司教区の司教のための司教座にもなり、11世紀半ばにマイセン城伯が設けられ、15世紀の半ばにはヴェッティン家の兄弟エルンストとアルブレヒトの統治となって、城塞のあったところに現在のアルブレヒト城が建てられ16世紀に完成しました。
18世紀のはじめには、ザクセン選帝侯アウグスト2世が城内に王立磁器製作所を設け、白磁器の発明者ヨハン・フリードリッヒ・ ベトガーや職人を城に閉じ込めてヨーロッパ一の白磁器の生産地としました。この体制は19世紀末に工場が町はずれに移転するまで続き、マイセン磁器の名はヨーロッパ各地に広まってゆきました。
 
   
     
マイセン大聖堂
アルブレヒト城の隣にあり、1250年から建設が始まり完成したのは1410年。しかしながら数年後に落雷により一部が破損状態となり、数世紀にわたってそのままの状態で置かれ現在の姿になったのは20世紀のはじめです。
   
 
   
下に降りてエルベ川に架かるアルトシュタット橋で写真を撮りたいのですが、結構雨が強くなり、残念ながら所々で雨宿りしながら皆がいるマイセンビジターセンターまで戻ります。  
     
     
     
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