| ヴィシェグラードとエステルゴム | ||||||||
| ヴィシェグラード(Visegrad) ホッローケーを出発して約2時間、スロヴァキアとの国境にほど近いハンガリー北部にある街、ヴィシェグラードに到着です。 ヴィシェグラードのあるこの地域は「ドナウベント地方」とよく紹介されますが、この言葉はドイツ語のドナウに英語のベンドを付けた造語で、日本の観光業者の造語とのことで、ヨーロッパでは「ドナウ大曲」あるいは「ドゥナカニャル」とよばれています。それだけ大きく曲がったドナウ川の右岸に、ヴィシェグラードは位置しています。 街のシブリクの丘の上には11世紀にヴィシェグラード城が築かれ、 14世紀にはハンガリー王カーロイ1世によって遷都され王宮となっていました。城はブダペストに遷都されたのちもマーチャーシュ1世によって整備され、オスマン帝国の侵攻で破壊されたのちも復興しており、現在もその姿が残されています。 ここでの観光はヴィシェグラード城です。 |
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| テラスに登るとドナウ川が下を流れており、対岸にはナジマロシュ(Nagymaros)の街が望めます。 | ||||||||
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| テラスでドナウ川の流れを左に目を向けるとドナウ大曲(おおまがり)が見えます。 「ドナウベンド」あるいは「ドナウベント」とよく呼ばれていますが、この言葉はドイツ語の「ドナウ」に、英語の「ベント」を付けたいわゆる造語とのことだそうで、正確に呼ぶなら「ドナウ大曲」のほうが良いようで、ハンガリー語ではドゥナカニャル(Dunakanyar ちなみにカニャルは「曲がり角」または「カーブ」の意味とのこと)と呼ばれています。この下流にはエステルゴムの街、そしてスロヴァキアとなります。 |
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| 小一時間でヴィシェグラードを後にしてエステルゴムに出発です。 | ||||||||
| エステルゴム(Esztergom) ヴィシェグラードから約30分でドナウ川沿いの街エステルゴムに到着です。この街はハンガリーでも古い歴史のある街で、ローマ時代まで歴史をさかのぼることができます。 この街ハンガリー・カトリック教会の総本山であるエステルゴム大聖堂があることで知られており、この街で生まれたイシュトヴァーン1世もこの大聖堂で戴冠式を行ってハンガリー国王となっています。 |
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| エステルゴム大聖堂(Esztergomi Bazilika) 最初の大聖堂が創建されたのは1000年ごろとのことですが、12世紀に火災で焼失し、その後修築されるもオスマン帝国の侵攻により破壊されており、1822年に現在の大聖堂の建設が始まりましたが、1848年革命などもあって中断が続き完成に至ったのは1869年となっています。 |
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| 大聖堂の入口上部には、イシュトヴァーン1世の戴冠式の様子を描いたレリーフ像があります。 | ||||||||
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![]() 主祭壇 |
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![]() 主祭壇上部のフレスコ画 |
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![]() 直径53.5m、高さ100mあるドーム天井 |
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| エステルゴム城 現在は王宮博物館として利用されています。 |
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| 展望台に出るとドナウの大曲がよく見えます。川にかかる橋はマーリア・ヴァレーリア橋(Mária Valéria hid)、橋を渡った対岸はスロヴァキアです。 橋の名前はフランツ・ヨーゼフ皇帝の三女マリー・ヴァレリーに因んで名付けられており、第二次世界大戦時に破壊されましたが2001年に再建されています。 |
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| イシュトヴァーン1世戴冠の像 | ||||||||
![]() 展望台から見るエステルゴムの街並み |
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| 午後5時20分、エステルゴムの観光を終えて最終目的地ブダペストに向けて出発です。 | ||||||||
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