東慶寺と明月院(2015.05.26撮影) 東慶寺 円覚寺とは横須賀線の線路を挟んで反対側に位置する東慶寺、鎌倉五山第ニ位の寺格を持ち正式名称は「松岡山 東慶総持禅寺」といいます。寺は鎌倉幕府の第八代執権北条時宗の夫人であった覚山尼によって弘安8(1285)年に開山されたもので、創建以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺で、江戸時代には松岡御所とも呼ばれる格式の高いお寺で、群馬県太田市にある満徳寺とともに幕府寺社奉行も承認する縁切寺(駈込み寺)として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていました。 江戸時代の離婚は形式上妻は夫から離縁状(去り状または三行半といわれていた)を受理することが必要とされていました。離縁状をもらえない妻の唯一の離婚への手段がこの縁切り寺ヘの駆け込みです。夫との離縁を望む妻が駆け込み、寺は夫に内済離縁(示談)を薦め、調停がうまく行かない場合は妻は寺入りとなり足掛け3年(実質満2年)経つと離婚が成立するという縁切寺法は江戸時代の半ばから明治に入るまで続けられました。 |
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東慶寺への入口(下左)と山門(下右) 鎌倉街道に面したところにあり、江戸時代はこの入口のところに山門があり、奥の階段上にある現在の山門は当時中門でした。尼寺ですから当然「男子禁制」の結界です。 |
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夏目漱石参禅百年記念碑 山門の手前に置かれたこの石碑、作家夏目漱石が明治27(1894)年に円覚寺に寄宿したのちにここ東慶寺を訪れています。 石碑には宗演老師の手紙の文章の一部(上段)と漱石の小品「初秋の一日」の一説(下段)が刻まれています。 |
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鐘楼 茅葺のこの鐘楼は大正5(1916)年に建てられたもので、関東大震災の際でも寺内で唯一倒壊を免れています。 梵鐘は南北朝時代の1350年の鋳造で神奈川県の重要文化財に指定されています。鐘には「就相陽城之海浜有富多楽之寺院」、「観応元年」と刻印されており、材木座の補陀落寺(ふだらくじ)のものであったことがうかがえます。 なお鎌倉時代に鋳造された梵鐘は伊豆韮山の本立寺に置かれています。 |
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本堂 書院の中門をくぐって正面にあるこの本堂昭和10(1935)年に建てられたものです。 |
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明月院 東慶寺から歩いて約10分ほどで「あじさい寺」として有名な明月院に着きます。 ここ明月院は室町時代の応永元年(1394年)以前に関東管領であった上杉憲方が、禅興寺(明治時代に廃寺)の塔頭を密室守厳を開山として創設されたものです。寺伝では永暦元(1160)年に首藤俊通の子の経俊が「明月庵」を建立したのが草創とされていますが、開基は上杉憲方とするのが通説のようです。 撮影したこの日はまだ紫陽花もそんなに咲いていないので拝観料は300円でしたが、6月の紫陽花の見ごろの時期は500円になるようです。 |
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明月院へは「明月院道」と名付けられたこの道を歩いてゆきます。紫陽花の見ごろの時期はこの道が観光客でいっぱいになります。 | |||||||||||||||||
方丈(本堂) |
方丈前庭の石庭 |
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方丈後庭園 後庭園は普段方丈からしか見ることができませんが、紫陽花や花菖蒲の咲いている時期そして紅葉の時期に特別公開されます。でもそんなに広くもないこの庭園に入るのに500円はちょっと取りすぎです。紫陽花の時期の拝観料500円と合わせると1000円です。(クリックすると大きな画像が表示されます) |
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開山堂 1380年ごろに建てられた宗猷堂(そうゆうどう)が後に開山堂と呼ばれるようになったもので、堂内には密室守厳の像が祀られています。 |
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瓶の井(かめのい) 鎌倉十井のひとつであり、昔ながらのつるべ井戸、内部が水瓶のように膨らんでいることから「瓶の井」と呼ばれるようになったようです。 鎌倉十井とは、鎌倉は海に近いこともあり良質の地下水を得ることが難しかったようですが、その中でも良質の水か得られる井戸を「鎌倉十井」と呼んでいるもので、浄智寺の「甘露の井」、海蔵寺の「底脱の井」などがあります。 |
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やぐら(羅漢洞) 現存する中では鎌倉地方最大の「やぐら」で、幅7m、高さ3m、奥行き6mあり、内部には釈迦如来と多宝如来の二仏と16体の羅漢像が浮き彫りにされています。 |
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北条時頼公廟所 鎌倉幕府の五代執権であった北条時頼の廟所です。すぐそばには時頼公の墓所があります。 |
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