コペルニクスの生まれた街トルン

トルン「(トルニ」と呼ぶこともあります。)はヴィスワ川の中流沿いにある工業都市ですが、その歴史は紀元前からあるようで、記録によると13世紀の半ばに都市としての機能を持ち、バルト海付近で産出する琥珀の運搬をする「琥珀街道」の途中に位置することから14世紀から15世紀にかけて発展したようです。街はドイツ騎士団の根拠地でもあったのでその城跡も残されており、中世の趣が残るこの街は1997年に「中世都市トルン」としてユネスコの世界遺産に登録されました。
この街は地動説で有名な天文学者のコペルニクスの生まれた地でもあり、旧市街にはその生家も残されています。
 
   
ヴィスワ川の日の出

同行のNさん御夫婦と3人で朝の風景を撮るため5時半ごろホテルを出発してとったのが下の写真。
左側写真の建物は川の水位を測る小屋で、川はヴィスワ川です。(この日の日の出は5時55分ころ)
    
   
朝8時半歩いてホテルを出発、旧市街の観光スタートです。
 
      
旧市街の城門を潜り城壁沿いに歩き出してすぐに見られるのが傾いた塔(斜塔)。なんでも地盤が弱かったので垂直面から1.4m道路側に傾いているとか、右上の写真で傾き具合がよくわかります。ここで突然の雨、といってもわずか10分くらいですぐにやんだので余り濡れることなく観光続行。  
 
船員の門
旧市街には当時8箇所ほど門があったとのことですが、この門もそのうちのひとつで、ヴィスワ川に面して建てられています。
 
 
船員の門からジェグラルスカ通りを旧市街広場の方向に歩いてゆくと右手に大きな時計のある塔が見えてきます。聖ヨハネ大聖堂の塔です。聖ヨハネ大聖堂はトルン最古の教会で、12600年に建設を開始して完成したのは15世紀に入ってからとか。かのコペルニクスもこの教会で洗礼を受けたとのことです。  
 
罰のロバ
ガイドさんによっては「恥のロバ」とも呼んでいるようですが、旧市街広場のかどにおかれており、罪人をこのロバに跨らせ足首に重石をつけてさらし者にしたようです。
 
旧市庁舎
旧市街広場にある建物で14世紀末に建てられた後に17世紀に増築され現在の形になったようです。(18世紀の初めにスウェーデン軍により破壊されその後修復)建物の南西の角にはコペルニクスの銅像があります。(右下の写真)
 
 
   
 
コペルニクスの生家
ジェグラルスカ通りからコペルニクス通りに入ってすぐ左側にレンガ造りの大きな家があります。コペルニクスの生まれた家です。
ここでコペルニクスは1473年に生まれ、クラクフ大学で学んだときに天動説に懐疑的見解を持つ教授の下に学んだことが地動説を唱えるもととなったそうです。地動説を発表することによる影響が大きいと判断したコペルニクスは自書「天体の回転について」で地動説を説いているもののその発刊は自分が死去した後とするよう求めたといわれており、実際に発刊されたのは15433年彼が死去した後のことです。
生家は現在博物館として一般公開されており見学ができます。
 
 
 
聖母マリア被昇天教会
旧市街広場の北西側にあるこの教会は14世紀にフランシスコ会によりゴシック様式で創建されたましたが、その後16世紀半ばにプロテスタント教会に変わったとのこと。
 
 
 
 
プラネタリウム
聖母マリア被昇天教会の北側にありますが、そのまま見に行くことはできず、道をぐるっと回らなければなりません。
さすがコペルニクスの生まれた地であり、このプラネタリウム結構人気だそうです。
 

星の館
     
道端のモニュメント
     
橋の門
 
 

トルンのメインストリートでもあるシェローカ通り

モーターパラグライダー
トルンの地図
 
今日はこれからヴロツワフに移動して世界遺産の「100年記念ホール」とヴロツワフ旧市街の観光ですが、移動距離が約290km、殆ど一般道での走行とのことで5〜6時間かかるとのこと。11時にはやめの昼食をとり12時にトルンを出発です。
 
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