東京歴史さんぽ その8 | ||||||||||
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天王寺の五重塔は、明和9(1772)年に発生した江戸三大大火のひとつといわれる明和の大火(「目黒行人坂大火」とも呼ばれています。)で焼失、その後近江出身の大工八田清兵衛により寛政3(1791)年に再建され、明治25(1892)年には幸田露伴の『五重塔』の舞台となったところで、明治41(1908)年に東京市に寄付され東京市の名所としてまた、谷中霊園のシンボルとなっていましたが、昭和32(1957)年に心中による放火(谷中五重塔放火心中事件)により塔の心柱を残して焼失、以来礎石を残すだけとなっています。 | ||||||||||
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谷中霊園内には最近ではあまり見かけない、竹を使った垣根のサンプルが造られて置かれています。 | ||||||||||
矢来垣 「竹矢来」とも呼ばれる「透かし垣」の一種で、竹を斜めに組み合わせ交差部をシュロ縄で結んでいます。この竹垣は背が低いですが、通常は長さが2mほどあり上部を斜めに切断して侵入防止としていたようです。 |
金閣寺垣 背の低い透かし垣で、京都の金閣寺にある垣根が発祥といわれており、通路と庭の境目や小さな庭の装飾に用いられ、太い竹を半割にして上部の玉縁(たまぶち)としているのが特徴です。 |
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建仁寺垣 京都の建仁寺で用いられたのがはじめといわれる遮蔽垣の一種で、割竹を隙間なく縦に並べて、押し縁を水平に取り付け、上部に笠を設けています。 |
大津垣 江戸時代の大津街道沿いで設けられていたことからこの名がついたといわれる遮蔽垣の一種で、割竹または篠竹を用いて交互に編み込むことで遮蔽性を保ちつつ通風も考慮した垣根です。 |
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鉄砲垣 火縄銃を横に渡した木材に裏表交互に立てかけたことからこの名がついたといわれる遮蔽垣の一種で、丸竹を用いて裏表交互に取り付けシュロ縄で取り付けてあります。袖垣として用いられることが多い技法です。 |
木賊(とくさ)垣 割竹を用いて押縁を用いずにシュロ縄で結んだり、釘で止めて造る垣根で、草の木賊に似ていることからこの名がついており、境界や塀、袖垣に用いられています。 |
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このほかにも竹を用いた垣根には、金閣寺垣、銀閣寺垣、龍安寺垣、大徳寺垣といったお寺の名がついたた垣根や形状、地名、人名のついた垣根があるようです。 | ||||||||||
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狩野芳崖の墓(左)と碑(右) 谷中霊園のそばにある長安寺(所在 台東区谷中5-2-22)には明治初期の日本画家狩野芳崖の墓があります。 明治維新後の西洋画の流入によりかつての日本画の人気は凋落、芳崖も窮乏に陥りましたが、狩野派の伝統的な筆法を基礎としながら、室町時代の雪舟・雪村の水墨画にも傾倒、さらには西洋画の陰影法を取り入れるなどして、独自の画風を確立しました。晩年には岡倉天心、狩野勝川院雅信らとともに東京美術学校(現、東京芸術大学美術学部)の創設に尽力、開校直前の明治21(1888)年に亡くなられています。 右側の石碑は、大正7(1917)年に建てられた芳崖の略歴と功績を刻んだものです。 |
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岡倉天心記念公園(所在 台東区谷中5-7) 夕焼けだんだんの階段を下りきってすぐのところにある四つ辻を左に曲がって約2分にあるのがこの岡倉天心記念公園です。 ここは日本の近代美術の先駆者であった岡倉天心の旧宅があったところで、明治31(1898)年にはこの地に日本美術院を創設し、明治39(1906)年に茨城県五浦に移るまで活動を行っていたところです。 公園は広さが700㎡とそれほど大きなものではありませんが、天心を記念した六角堂が建てられています。 |
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「夕焼け小焼け」の歌碑 小さいころにみんながよく歌っていた「夕焼け小焼け」の歌は、大正8(1919)年に野口雨紅の詞に大正12(1923)年に草川信が曲を付けた童謡ですが、童謡の舞台となったのは八王子市の恩片町とのことですが、雨紅が詩を造った当時荒川区の第二日暮里小学校の教師であったことから同校の敷地に設置されています。 |
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子規庵 俳句、短歌、新体詩、小説など多岐にわたる活躍で、日本の近代文学に多大な影響を与えた正岡子規(本名 正岡常規)が、明治27(1894)年から亡くなった明治35(1902)年まで住んでいた家で、当時の建物は、昭和20(1945)年3月の東京大空襲により焼失しましたが、昭和25(1950)年に弟子の寒川鼠骨らによって再建されたもので、子規生存当時の面影を残す家と庭が一般公開されています。 (所在 台東区根岸2-5-11) |
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