田野畑村(2021.04.19撮影) 田野畑村は、岩手県の下閉伊郡にあった太平洋を望む人口3,000人足らずの村です。 この村は、貞観11年(869年)に貞観地震、慶長16年(1611年)には慶長三陸地震、明治29年(1896年)に明治三陸地震、昭和8年には昭和三陸地震そして平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災と、幾たびか大きな地震に見舞われその都度甚大な被害を受け、多数の方が亡くなられている村です。 |
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泊まったホテルは三陸海岸北山崎の玄関口にあるホテル羅賀荘でしたが、海沿いにあるため4階まで津波の被害を受けていたとのこと。日の出の時間に海岸まで出てみましたが、生憎と雲が多く日の出の瞬間は撮れず撮影したのは日の出後10分近くたってからとなりました。 |
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田野畑駅 ホテルから歩いて10分くらいのところにあるので朝の散歩で出かけてみることに。大震災の時には北リアス線は大きな被害を受けたため全線不通となりましたが、田野畑駅は大きな被害を受けませんでした。 近づいてみると駅名の看板には「カンパネルラ田野畑」とあります。開業当時の駅名は「田野畑」でしたが、大震災後の平成24年の復旧再開時から宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に由来して、「キット、ずっとカンパネルラ田野畑駅」と改称しています。 |
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駅前広場の桜の木の根元には東日本大震災による津波がここまで到達したとの碑があります。 |
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少し待っていると列車がやってきました。単線の三陸リアス線はこの田野畑で上下線の列車がすれ違いとなります。宮古行きは上り、ラッピング列車の久慈行きは下の列車です。 |
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田野畑駅近くにある平井賀川の水門は、三陸リアス線の列車と同じデザインです。 |
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津波石 明治三陸地震でこの地点まで打ち上げられたと地元に人たちに伝わる石で、推定重量は約20トンという巨大な石です。石には「オルビトリナ」と呼ばれる1億年以上も昔に浅海に生息していた有孔虫の化石が含まれており、地震の際の津波によって海岸から400m離れ標高28mあるこの場所まで移動したことが、専門家の調査により判明しています。 |
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ひらなめ海岸と平井賀の家並み |
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弁天崎 |
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弁天崎と陸中弁天埼灯台 |
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矢越崎(上及び下) | |||||||||||
アンモ浦の瀧 |
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黒崎で船はUターンして港に戻ります。 |
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