浄土ヶ浜海浜(2021.04.19撮影)
 
岩手県の中央部にある宮古市の中央部に位置する浄土ヶ浜は、国の名勝に指定されており、昭和30年(1955年)には陸中海岸国立公園として指定されました。平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災では津波の被害を受けており、国立公園の名称が震災からの復興と被害の伝承を目的として三陸復興国立公園と名が改められています。
浄土ヶ浜は、約5200万年前の古第三紀に形成された流紋岩からなっており、地名の由来は諸説あるようですが、天和年間(1681から1684年)に曹洞宗の僧であった霊鏡竜湖(れいきょうりゅうこ)が『さながら極楽浄土のごとし』と感嘆したことから名づけられたとする説が知られており、風光明媚な場所として江戸時代中期の絵図にも見られるとのことです。
また、浜辺は入り江を利用した海水浴場として環境省の「快水浴場百選」に選定されている他、「日本の水浴場88選」、「かおり風景100選」、「日本の渚百選」、「日本の白砂青松100選」にも選定されています。
 
   
   
     
  昭和三陸津波記念碑
浜辺にある昭和の時代に発生した大地震による津波の記念碑で、向かって左側が昭和8年(1933年)3月3日に発生した昭和三陸大地震の記念碑で、右側が昭和35年(1960年)5月22日に発生したチリ地震津波記念碑です。
 
 
 

昭和三陸津波記念碑

碑の上部には大海嘯記念と刻まれており、
一、  大地震の後には津波が来る
一、  大地震があったら高いところに集まれ
一、  津波に追われたら何処でも高い所へ
一、  遠くに逃げては津波に追いつかれる、常に逃げ道を用意しておけ
一、  家を建てるなら津波の来ぬ安全地帯へ

とあります。
海嘯(かいしょう)とは河口に入る潮波が垂直壁となって河を逆流する現象のことをいい、「潮津波(しおつなみ)」とも呼ばれ、昭和の初期までは地震による津波も海嘯と呼ばれていたとのことです。

昭和三陸地震では岩手県で、死者が170人、行方不明者が138人とななっています。
   



チリ地震津波記念碑

昭和39年(1960年)、日本時間で5月23日の午前4時過ぎに発生したM9.5のチリ地震による津波が翌24日の明け方4時過ぎに東北地方を中心に到達し、場所によっては6mを超える津波によって岩手県、宮城県を中心に死者行方不明者142人、家屋等の全半壊が46,000棟を超える大被害が発生しました。
 
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
 
 


宮沢賢治の歌碑

宮沢賢治は大正6年(1917年)7月に花巻町の東海岸視察団の一員としてこの地を訪れており、その際に詠んだ「うるわしの海のビロード 昆布らは 寂光のままに 敷かれひかりぬ」の詩が刻まれています。

碑は宮沢賢治の生誕百年を記念して平成8年(1996年)に浄土ヶ浜レストハウスの前に建てられました。
 
     
     
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