ストラトフォード・アポン・エイヴォン


 
 
   
午後4時40分ストラトフォード・アポン・エイヴォンに到着です。バスを降りてヘンリー・ストリートにある道化師の広場に着いた時には声高に話す大勢の観光客がいました。そうここ数年多く見かける東洋人たちです。12年前に訪れたときは殆どもいなかったのに・・・・
ここストラトフォード・アポン・エイヴォンは800年からの歴史を持つ町でエイヴォン川とストラトフォード・アポン運河が交わるところにあり、文豪ウィリアムシェイクスピアの故郷で訪れる人が年間50万人以上にもなる町です。 (右の写真は道化師の広場にあるピエロの像)
今回は町歩きだけで、シェイクスピアのお墓のあるホーリー・トリニティ教会やシェイクスピアの妻であるアン・ハサウェイの家は観光予定に入っていません。
 
        
  シェイクスピアの生家の前は写真を撮る人たちが多く人を入れずに撮ることができません。後回しにしてまずは町歩きを。
ヘンリー・ストリートの両側には土産物店が立ち並んでいます。
 
     
   
ハイ・ストリートにはチューダー様式の家が見かけられます。右側の写真の家は相当古そうです。  
    
タウンホール
ハイ・ストリートとエリー・スリーとの交わる交差点の角にあり市庁舎として使用されていましたが現在は集会所、会議室等に使用されているようです。
建物の2階正面にはシェイクスピアの像があります。ぞの下のプレートにはエリザベス女王即位25年を祝って造られたとあります。
     
 
        
   
タウンホールと向かい合う形で建ているのは1810年に建てられたオールド・バンク(現在はHSBCの支店)、正面入り口の上にはシェイクスピアの絵があります。  
   
   こちらは「ザ・シェイクスピア・ホテル」
チャペルストリートに入ってすぐのところにあるチューダー様式で建てられた1637年創業のホテルで、各部屋の名前はシェイクスピアの作品に登場する人物の名前がついています
 
    
ギルド教会
チャペル・ストリートとチャペル・レーンの角に立つこの教会は町のギルドたちの寄付によって1392年に建てられたものです。内部にはフレスコ画が描かれていますが残念なことに保存状態が悪く絵がよく見えません。
     
 
     
  キング・エドワード6世スクール
教会と併設するように建てられているのは1482年に創建された学校で、シェイクスピアが通ったといわれている学校です。シェイクスピアが通ったという事実は記録には残っていないようですが、当時ストラトフォード・アポン・エイヴォンにはここ以外に学校がなかったので、かなり信憑性は高いようです。
因みに「エドワード6世」の名がついていますが、エドワード6世と学校には関係がないようです。また、この学校現在も現役です。
 
     
  ロイヤル・シェイクスピア・シアター
ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーという1875年に創立された劇団が所有する3か所の劇場のうちのひとつでエイヴォン川のほとりに建てられています。
 
     
   
エイヴォン川  
     
  ストラトフォード・アポン運河の閘門
画面上がエイヴォン川で下が運河ですが、水位が違うのがよくわかります。この閘門の開閉は画面の黒い棒を手で押して行っているようです。
 
       
エイヴォン川沿いにあるバンクロフト・ガーデンにはシェイクスピア像と作品に登場する人物の像があります。  

ハムレット
 
ハル王子
  
シェイクスピア
 
ファルスタッフ
  
マクベス
 
 
   赤い郵便ポストと電話ボックスが古い町によく似あいます。         アメリカン・ファンティーン
グリーヒル・ストリートとロジャー・ストリートの交差点にある通称「クロック・タワー」と呼ばれる噴水で、ヴィクトリア女王の即位60年を記念して、アメリカの慈善家であって新聞社を主宰するジョージ・スコットにより寄付されたものです。
噴水にはアメリカを象徴する鷲とイギリスの紋章とライオンの彫刻があります。
 
    
町を一回りして戻ってくるとまだ午後6時前だというのにシェイクスピアの生家があるヘンリー・ストリートは観光客もほとんどいなくなってひっそりとしています。    
     
シェイクスピアの生家
シェイクスピアは1564年にこの町の皮手袋職人の8人兄弟の3番目の子として生まれ、18歳の時に8歳年上のアン・ハサウェイと結婚、ロンドンに出たのちに演劇の世界に身を置くようになって俳優兼劇作家となり、四大悲劇「ハムレット」、「マクベス」、「オセロ」、「リア王」をはじめ、「ロミオとジュリエット」、「ヴェニスの商人」、「夏の夜の夢」、「ジュリアス・シーザー」など多くの傑作を残した劇作家で 、1613年に故郷のこの町に戻り1616年52歳で亡くなっています。
 
     
   
     
 
 
     
     
午後6時すぎストラトフォード・アポン・エイヴォンを出発、今日のホテルのあるバーミンガムに向かいます。明日はコッツウォルズの観光です。  
     
      
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