潮岬と橋杭岩(撮影2011.12.04)
 
和歌山県の最南端というより本州の最南端に当たる串本町にある潮岬、台風が接近するといつもテレビやラジオで耳にする地名ですが、40年ぶりに訪れてみました。
前日夕方に潮岬に到着、日本の夕日百選に選ばれたこの地の夕陽を撮影しようとしましたがあいにくの曇り空で撮影を断念。今朝は紀伊大島にある海金剛まで車で行って日の出を見ます。今朝の日の出は6時38分。残念なことに水平線近くには雲が残っています。
 
 

紀伊大島海金剛の日の出
   
海金剛

海金剛は串本町の紀伊大島の鷹ノ巣岬にある自然景勝地で、断崖下の海面から荒々しく切り立つ巨岩が連なる海岸線となっており、1983年に森林文化協会と朝日新聞社が公募した「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれています。
日米修好記念館そばの駐車場に車を止めて細い道を数分歩くと見晴台に出ます。ここが撮影ポイントです。

 

朝焼けに染まる海金剛と樫野崎
 
 
 
樫野埼灯台
紀伊大島の東端にあるこの灯台、明治3年(1870年)66月に完成した石造りの灯台で、「日本の灯台の父」と呼ばれるスコットランドの建築家リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によるもので、慶応2年(1866年)に締結された「江戸条約」により建設されることとなった8基の灯台のうちのひとつで、日本最古の灯台です。

灯台内部へは入れませんが外側に螺旋階段が併設されていて登ることができます。ただ訪れた時間が早すぎたため入口に鍵が掛かっていて登ることができませんでした。
 
 
 
エルトゥールル号遭難慰霊碑とアタチュルクの騎馬像
 
この碑は明治23年(1890)9月16日台風による強風を受けてこの地で遭難したオスマン帝国(現在のトルコ共和国)海軍のエルトゥールル号の乗組員の慰霊碑で、事故の際にこの地の住民が総出で救助にあったたことからここに慰霊碑が建てられたとのことです。
なぜ「トルコ建国の父」といわれる初代大統領アタチュルクの像があるか調べてみたところ、新潟県の柏崎にある柏崎トルコ村にトルコから寄贈されて置かれていたようですが、中越沖地震で像が倒れその修復で市と業者がもめたことからこの地に移設されたとのことでした。
    
  
潮岬

潮岬は串本の街の中心部から出べそのように飛び出している陸繋ぎ島となっています。ここにある潮岬灯台は樫野埼灯台と同じように江戸条約により建設された8基の灯台のひとつで、当初は8角形の木造灯台で建設され現在のような石造りの灯台となったのは明治10年になってからのことのようです。
「日本の灯台50選」にも選ばれている灯台だけあって68段もの階段を登って外に出ると太平洋の大海原が一望でき、180度広がる水平線が地球の丸さを実感させてくれます。

 
注:江戸条約により建設された灯台はここの二ヶ所のほかに、長崎県伊王島の伊王島灯台、神奈川県横須賀市の観音埼灯台、鹿児島県南大隈町の佐多岬灯台、神奈川県三浦市の劔埼灯台、千葉県南房総市の野島埼灯台、静岡県下田市の神子元島灯台です。
  
 
灯台からの眺望(右の写真の塔は潮岬観光タワー)
 
 
橋杭岩

国の名勝天然記念物に指定されている橋杭岩、大小40余りの奇岩が850mにわたってそそり立っています。
        
 
        
 
   
 
   
   
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