和歌山城(撮影2011.12.04)

和歌山城は安土桃山時代の天正13年(1585年)に豊臣秀吉が弟秀長に築城を命じたのがはじめといわれ、紀ノ川を天然の濠として虎伏山の地に築城されました。元和5(1619年)年に徳川家康の十男である徳川頼宣が入封。以後、幕末までの250年間紀州徳川家が城主となっていました。この間に五代城主の吉宗が徳川八代将軍となったことは余りにも有名です。
お城は
虎伏山(山というにはあまりにも低い標高が48.9m)の頂きに本丸を有し、大天守、小天守と二棟の櫓が連結された連立式で構築されており、姫路城、松山城と共に日本三大連立式平山城といわれています。
明治4年の廃城令でも天守は残され昭和10年に国宝に指定されましたが、昭和20年7月の和歌山大空襲により焼失。現在の天守は昭和33年に再建されたもので「日本百名城」のひとつに数えられています。
 
   

けやき大通りより望む和歌山城(左手前が小天守、奥が大天守、右端は乾櫓)
 
西之丸庭園
別名紅葉渓庭園といわれるこの庭園、江戸時代初期に造営されたものでそれほど大きくありませんが江戸時代の遺構を残すものとして国の名勝に指定されています。

鳶魚閣
 
御橋廊下(二の丸と西の丸を結ぶ廊下)
 
 

城内案内図
 
銀明水
天守台にある「金明水」の井戸同様に日常使用と籠城時の非常用に使用されていた井戸。城内にはこのほかにも多数の井戸があったようです。
 
大天守(三層三階建てで下部に石落としを備えています)  
 

復元された楠門(天守二の門)

 

埋門(金明水に通じる門で非常時は敵の侵入を防ぐため砂で埋めたとのこと)
 
小天守
二層二階建ての小天守の下部には石落しが備えられています。
 

二の門櫓

乾櫓
 

天守より望む城内

天守より望む紀ノ川(左奥には淡路島が見えます。)
 
伏虎像
和歌山城は江戸時代に伏虎竹垣城とも呼ばれていたようでその名にちなんで造られされたものとか。当初は銅製で造られたが太平洋戦争時に供出したため石造りで昭和41年に再製作したとのこと。
 
        
七福の庭
七福神に似せて造られている石組みで、藩祖頼宣公が藩の隆盛を祈念して本丸御殿の中庭に作庭されたとのことですが、工事のため大正時代に移設したようです。
 
        
岡口門
江戸時代初期に建造された櫓門形式の門で国の重要文化財に指定されています。
 

一之橋と大手門

けやき通り沿いの銀杏並木
 
 
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