柴又帝釈天(2016.02.28撮影) 葛飾区柴又にある柴又帝釈天、正式な名称は経栄山題経寺といい、江戸時代初期の寛永6年(1629年)に、禅那院日忠と題経院日栄という二人の僧によって開かれた日蓮宗の寺院です。 寺の縁起では、日蓮上人御親刻といわれる帝釈天のご本尊が一時所在不明となっていたが、安永8年(1779年)に本堂改修中に発見され、帝釈天が信仰を集めるようになって、「柴又帝釈天」として知られるようになり、縁日が開かれる庚申の日には多くの参詣人が集うようになりました。 柴又帝釈天を扱った文芸作品は夏目漱石の『彼岸過迄』や伊藤左千夫の『野菊の墓』などに登場しており、また渥美清が主人公の車寅次郎を演じて映画『男はつらいよ』によって多くの観光客が訪れる地となっていました。 |
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京成金町線の柴又駅で電車を降りてすぐのところから参道がはじまります。訪れたこの日は日曜日とあって多くの観光客で参道が混雑しています。 | |||||
ニ天門 明治29年(1896年)に総欅造りで建てられたもので、入母屋造瓦葺の楼門(2階建て門)で、屋根には唐破風と千鳥破風を付しており、四天王のうち、増長天と広目天の二天王が安置されているので、ニ天門と呼ばれています。日光東照宮の陽明門を模しているといわれており、多くの彫刻が施されています。 |
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ニ天門の扉には龍(上左)と虎(上右)の彫刻が施されています。(保護のため金網が張ってあり、ほこりがついているのでちょっと見難いです。) | |||||
ニ天門に向かって右側には昭和57年(1982年)に建てられた南大門があります。門扉には当寺の紋である「稲妻(雷)紋」が彫られています。 | |||||
帝釈堂 ニ天門を潜った正面にあり、手前の拝殿と奥の内殿から成っていて、いずれも入母屋造瓦葺で、拝殿屋根には唐破風と大ぶりの千鳥破風を付されています。 内殿は大正4年(1915年)、拝殿は昭和4年(1929年)の完成で、内殿には帝釈天の板本尊が安置されておりその左右に四天王のうちの持国天と多聞天(毘沙門天)を安置されています。また、内殿の外壁全周に浮彫彫刻が施されています。 この内殿外壁の彫刻は「彫刻ギャラリー」として一般公開されています。(有料) |
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彫刻ギャラリー 内殿外壁の彫刻は、大正11年(1922年)から昭和9年(1934年)にかけて彫刻家の加藤寅之助氏、金子光清氏らによって施されたもので、欅材を使って彫られており、その大きさは縦1.27m、幅2.27mあり、精緻な彫刻はとても見事です。(少しほこりをかぶっているのが残念ですけど…) |
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塔供養の図 序品 金子光清氏作 |
三車火宅の図 譬喩(比喩)品 木嶋江運氏作 |
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慈雨等潤の図 薬草喩品第五 石川信光氏作 |
法師修行の図 法師品第十 横山光一氏作 |
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多宝塔出現の図 見宝塔品第十一 石川銀次郎氏作 |
千載給仕の図 竜女成仏の図 加府藤正一氏作 |
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龍女成仏の図 竜女成仏の図 山本一芳氏作 |
病即消滅の図 薬王菩薩本事品第二十三 今関公次氏作 |
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常不軽菩薩受難の図 及び 法華経功徳の図 小林直光氏作 |
法師守護の図 陀羅尼品第二十六 加藤寅之助氏作 |
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大客殿の屏風絵 大客殿は昭和4年(1929年)に入母屋造瓦葺で造られており、邃渓園を望むようになっています。 この屏風絵は横山大観作の「群猿遊戯図」といい、彫刻の下絵として描かれたものです。 (大客殿は彫刻ギャラリーと共通の拝観料です。) |
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邃渓園 昭和40年(1965年)に設けられた池泉式庭園で、庭園内に立ち入ることはできませんが、庭園を囲むように屋根付きの廊下が設けられており、ぐるりと回って見ることができます。 |
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富士山本宮浅間神社の大宮司であった富士親時が奉納されたといわれる観音菩薩像 | |||||
釈迦堂(開山堂) 江戸時代末期の文化・文政期に建立された寺内最古の建築で、奈良時代に作られたといわれる釈迦如来立像と、開祖日栄上人、中興の祖日敬上人の木像が安置されています。 |
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瑞龍松 境内の帝釈堂そばにあるこの黒松の木、江戸時代の絵図にも描かれており、推定樹齢は450年から500年とか。枝は南と西に延びて見事な樹形を見せてくれています。 平成28年2月に都の教育委員会が「都天然記念物」として指定することとなりました。 |
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ご神水と浄行菩薩像 |
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大鐘楼 昭和30年(1955年)に総欅造りで建てられたもので、高さは約15mあり、関東一の鐘楼といわれていて、日本の音風景100選に選ばれている梵鐘です。 |
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