佐渡島 その2 旅の二日目は今回のツアーの中心となる佐渡金山観光ですが、まずは北沢浮遊選鉱場跡からスタートです。 |
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北沢浮遊選鉱場跡 佐渡市の相川北沢地区にある北沢浮遊選鉱場は、かつて佐渡市に存在した佐渡金山の選鉱場で、1937年(昭和12年)から1940年(昭和15年)にかけて日中戦争開始前の国策の一環として整備されたものです。 所内には大規模な最新の技術を用いて採掘した鉱物を、界面活性剤などを用いて選別し有用な鉱物のみを収集する浮遊選鉱場のほかに、シックナー(濃縮器)と呼ばれる鉱物回収のための装置、日本初の火力発電所などが建設され、東洋一の規模を誇る月間5万トンの原鉱石を処理する施設でした。しかしながら、1952年(昭和27年)の鉱山大縮小に伴って廃止となり、その遺構が残されています。 この遺構は、佐渡鉱山関連遺産として佐渡市内ある他の施設と併せて2007年(平成19年)に、経済産業省の近代化産業遺産として認定されており、「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」の一部として、現在ユネスコの世界文化遺産への登録を申請されていましたが、2024年7月27日のユネスコの世界遺産委員会で、「佐渡島の金山」の名で世界文化遺産に登録されました。 |
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金銀鉱浮遊遊選鉱場跡(上の写真は向かった左側から、下の写真は向かって右側から撮影) |
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50mシックナー シックナー(thickener)とは濃度の低い泥鉱を沈降槽を利用して廃泥と清澄液に分離する装置をいい、1940年(昭和15年)に完成した直径50mの円形連続シックナーに、近くを流れる濁川の上流にある間の山搗鉱場(あいのやまとうこうば)から排出された金銀を含んだ泥状の鉱石を、この装置にいれて水分と鉱石の分離させていました。 (搗鉱とは鉱石を連続して搗いて破砕することをいいます。) |
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北沢地区の工場施設群跡 時間がなく、そばまで行って写真を撮る時間がありません。 |
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水上輪(すいしょうりん)と名付けられた坑内排水のための揚水ポンプは江戸時代の初めに取り入れられました。 坑道内には65体の坑夫のロボット人形が置かれており、写真で見るとわかりませんが、それぞれ採掘作業を忠実に再現するよう工夫されており、そのシーンごとに作業を行いそしてしゃべるように作られています。 |
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立合(たてあい) 佐渡では鉱脈のことを立合と呼んでいたようです。 |
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山留(やまどめ)大工 佐渡奉行所直属の技術者で坑道内を調べて断層の有無、岩盤の強弱などを調べて補強の作業をしていました。 |
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検問所 坑道の出入り口に設置されており、坑道への人の出入りのチェックや、掘り出した鉱石を持ち出していないかチェックを行っていました。 |
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掛樋(かけどい) 坑内で湧き出る水を処分するための樋で、水上輪で下から上げた水をこの樋を通して坑外に運んでいました。 |
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金穿大工(かなほりだいく)と呼ばれた坑夫は、鏨(たがね)と鎚で鉱石を採掘していました。 |
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北沢浮遊選鉱場と佐渡金山のマップ | |||||||||||||||||||||||||||
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