佐渡島 その1
 
新潟県の佐渡島は、全島が佐渡市に属し、広さは沖縄本島に次ぐ広さの約855K㎡で、これは東京都の島嶼を除いた23区と多摩地域の面積の約48%に当たるとのことで、現在の人口は約52,000人ですが、調べてみると1950年(昭和25年)の人口約125,600人をピークに減り続ける一方となっているようです。
島はもともと本州と地続きであったのが、地殻変動や火山活動による地形の変化で約1,600万年前頃に本州から離れ、現在の島の形となったのは約200万年前頃と推測されています。

島では徳川氏が支配地とした1601年(慶長6年)に金鉱山が発見され、それ以前から発掘されていた銀山と併せて発掘するため佐渡を天領(徳川幕府の直轄地)として直接統治を行っていました。鉱山は1896年(明治297年)に三菱合資会社に払い下げられ、その後三菱鉱業に引き継がれ、1943年(昭和18年)に発令された金山整備令で採掘が中止するまで続いていました。
現在では「佐渡金銀山遺跡」が国の史跡としてしてされており、当時の建造物が「旧佐渡鉱山採掘施設」として国の重要文化財に指定されており、「金を中心とする佐渡鉱山の遺跡群」として、ユネスコの世界遺産登録候補として立候補しています。
 
 
   
  佐渡汽船両津ターミナルにはシータウン佐渡というショッピングセンターが併設されています。
 
 
 




佐渡島といえば「佐渡おけさ」です。
民謡の佐渡おけさは、熊本県は天草市の牛深港に伝わる牛深ハイヤ節が、北前船の船乗りたちによって「小木おけさ」として広まって佐渡にも伝わり、金山の鉱夫たちによって「選鉱場おけさ」として歌われ、明治のころに「相川おけさ」そして大正時代には「佐渡おけさ」として全国に伝わってようです。
人形はフェリーターミナルの一画に置かれています。チョッと見ると太めの人形です。
 
 
 
 観光のスタートはトキの森公園からです。
 
トキの森公園(2022.05.28撮影)

学名がニッポニア・ニッポンといい、古くから知られていた野生のトキが日本で絶滅したのが1980年代のことで、世界でも生息していたのがわずか数羽にまで減少したことがありますが、日本や中国での保護活動で回復状態が続き、現在の日本では600羽を超える個体数が確認されています。ここトキの森公園は、佐渡島の中央部にある国中平野にあって、トキの生態を自然の環境に近い状態で観察できるようになっています。
下の写真は公園内で飛んでいたトキを撮影したものですが、生憎と私の一眼レフカメラに取り付けてあるレンズは1635という超広角のレンズで、撮影はしたものの豆粒ぐらいにしか撮ることができず、引き延ばしてもこれが限度でした。
 
      
 
   
     
 
 
1968年(昭和43年)に保護され、日本のトキの中で最後まで生息していた雌のトキ、キンの剥製(死亡は2003年(平成15年))
 
  「朱鷺よ キンよ 永遠なれ」と刻まれた石碑はトキ保護団体によるもの
ケージの中にいるトキ。左はショゥジョウトキ、右は黒トキ
 

 



飼育ケージにいるトキは黒トキのようですが、ケージの一番奥で何かをついばんでおり、これ以上大きく写せません。

 



トキ幻想の歌碑

新潟県魚沼市生まれの歌人宮柊二が詠んだ長歌と反歌が刻まれています。

 



長谷川利平次の歌碑

碑には「夕陽さす 新穂の森にカアと啼く 朱鷺の声憐れなり」と刻まれています。

 



公園内に設置されている郵便ポストも朱鷺のように色づけられています。
 
   
     
     
     
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