北野天満宮(2016.03.11撮影)
 
「北野の天神さん」、「天神さん」または「北野さん」として親しまれる北野天満宮は、天慶5年(942年)に右京七条に住んでいた丹治比文子に、5年後の天暦元年(947年)にも近江の国の神官の子であった太郎丸にも託宣(お告げ)があり、北野の地に朝廷によって道真を祀る社殿が造営されたのが始まりとされています。
社殿造営後の永延元年(987年)には、一条天皇より「北野天満宮天神」の称が贈られ、以後朝廷から厚い崇敬を受けることとなりました。
天満宮は、足利将軍家からも崇敬を受けていましたが、文安元年(1444年)に発生した「文案の麹騒動」で室町幕府の攻撃を受けて焼失、一時衰退したこともありますが、江戸時代には学問の神として広く信仰されるようになり、町中に多く設けられた寺子屋に分祀されていました。
明治時代には「宮」を名乗るためには祭神が皇族であり、かつ勅許が必要であることから「北野神社」と改称していましたが、第二次世界大戦後に神道国家管理を脱したあとに旧称の「北野天満宮」に戻っています。
 
     
一の鳥居
北野天満宮前でバスを降りてすぐのところが今出川通りにある北野天満宮前の交差点、正面に大きな石造りの「一の鳥居」があります。
鳥居は木曽から産出した花崗岩で高さは11.4mあり大正10年(1921年)に建立されたもので、鳥居上部にある扁額は、閑院宮載仁親王直筆のものです。
 
   
  影向松(ようごうのまつ)
一里鳥居を潜って境内に入ったところにあるこの松の木、立冬から立春までの間に雪が降るとご祭神(菅原道真公)が降臨し、雪見の歌を詠むという伝説が残る赤松の古木で、「天神さんの七不思議」のひとつとなっているとのこと。
 
     
伴氏社(ともうじしゃ)
境内にある末社のひとつで、菅原道真公の母君を祀っています。母君が大伴氏の出身であることからこの名がつけられています。
鳥居は鎌倉時代の鳥居で、国の重要美術品に指定されています。
この鳥居は「京都三珍鳥居」と呼ばれる鳥居のひとつで、通常の鳥居が「貫」という一番下の水平の石の上に縦に額束があり、その上に「島木」、更にその上に「笠木」という構造ですが、この鳥居は額束が長く島木を貫通して笠木まで至っています。(写真では前にある果樹が邪魔してちょっと見難いですが・・)
      
 
     
   
境内には天神様の使徒といわれる撫で牛の像が全部で十数体あるとか、中には右の写真のように目の赤い牛も。でも関東の撫で牛のように体がテカっていません。皆さん余り撫でないのでしょうか。  
     
    
楼門を過ぎてすぐの左側には絵馬所があります。絵馬所の周りと中の壁に古い絵馬が多くかけられていますが、あいにくと色がはげ落ちているのが多くちょっと残念な気がしますが、中でも上の2枚がそこそこ見れる絵馬です。
2枚の絵馬は社僧である能悦が奉納したもので、左の絵馬は元禄4年(1691)11月に野々村信武通正が源平の戦いの様子を描いたものらしく、、右の絵馬は寛延3年(1750年)に渡辺始興が描いた板絵金地著色曳馬図で、京都市指定・登録文化財となっています。
 
     
楼門
桃山時代の様式で建てられた楼門で、両側には随神の像が置かれており、門の中央には大きな吊り燈籠があり、その上には平安時代の儒学者慶滋保胤と大江匡衡が菅原道真公を讃えた言葉の「文道大祖 風月本主」と記された扁額が掲げられています。
   
 
     
   太閤井戸
楼門の手前にあるこの井戸は、天正15年(1587年)に豊臣秀吉が催した「北野大茶湯」で、茶点ての水を汲んだと伝えられる井戸です。
 
        

                            神楽殿
 
                            宝物殿
 
     
 
東門
慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が造営した切妻造り、銅葺きの四足門で重要文化財に指定されています。
 
     
  世継ぎの梅と回廊
初代の梅は明治天皇の皇后であった照憲皇太后が実家であった一条家にあった梅を御献進したものですが、現在の2代目となるこの梅は京都御所から拝受したものです。
回廊は、三光門(画像の左側)の両脇にあり、この回廊は東側の回廊で、慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が造営したもので、重要文化財に指定されています。
 
     
中門
別名を三光門と呼ばれ重要文化財に指定されているこの門は、慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が造営した入母屋造、前後千鳥破風・軒唐破風付、檜皮葺の四脚門で、第111代後西天皇の御宸筆(直筆)による「天満宮」の扁額が掲げられています。
「三光門」とは門に施されている彫刻の中に日(太陽)、月、星があることからこの名がついたとのことです。
     
 
     
  社殿前の紅梅
福岡の太宰府天満宮には無実の罪で流された菅原道真を一夜にして追いかけてきたという「飛梅伝説」の梅の木がありますが、この梅の木はその伝承となるもので、紅和魂梅(べにわこんばい)と名付けられています。
 
     
   
本殿(左)と拝殿(右)
入母屋造りで造営された本殿と拝殿は慶長12年(1607年)に豊臣秀頼によって造営された権現造りの社殿となっており国宝に指定されています。
 
     
  地主神社
天満宮の摂社のひとつであり、天満宮創建以前の承和3年(836年)に創建されたとの記録があります。
 
     
  竈社
「竈」とは今ではほとんど見かけられなくなった「かまど」のことで、この竈社は台所の守り神、火の神として祀られてき た神社で、奥にある鳥居は明智光秀の寄進によるものと伝えられていいて、鳥居の裏に「明智」の銘が刻まれています。
 
   
  文子(あやこ)天満宮
末社のひとつである文子天満宮は菅原道真を祭神としており、道真没後の天慶5年(942年)に道真の乳母をしていた巫女 の多治比文子のもとに「この地に自分の魂を祀ってほしい」と託宣があったことから自宅にて御霊を祀ったのがはじめといわれています。
 
     
  老松社
老松社は摂社のひとつであり、林業の神様されていて、菅原道真が太宰府に流されたとき笏(しゃく 束帯を着用した際に右手に持つ細長い板で現在では神官が用いています。)を預けた島田忠臣が祭神となっています。
 
     
  回廊
豊臣秀頼が慶長12年(1607年)に造営したもので、三光門の両側にあって国の重要文化財に指定されています。
 
     

                            紅梅殿
 
                           北の八社
 
     

                        三光門から見る本殿
 
 
     
     
        
        
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