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大原のバス停から「大原女の小径」と名付けられた細い上り坂の道を歩くこと約10分で三千院の門前にたどり着きます。 | |||||||||||||
三千院 延暦年間(782~806)に最澄の開基によって創建されたお寺で、三千院門跡、梶井門跡、梨本門跡などとも呼ばれ、清蓮院、妙法院とともに天台宗の三門跡寺院のひとつに数えられています。 写真は寺への入り口となる御殿門 (所在地:京都市左京区大原勝林院町187) |
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金色不動堂 |
観音堂 |
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往生極楽院 |
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わらべ地蔵 | |||||||||||||
慈眼の庭 |
朱雀門 |
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大原法華堂 法華堂の隣には後鳥羽天皇と順徳天皇の大原陵がありますが、この法華堂は、隠岐の島で亡くなった後鳥羽天皇の冥福を祈るため、その遺骨が埋葬されています。 (所在地:京都市左京区大原勝林院町) |
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勝林院 正式なお寺の名前は、魚山大原寺勝林院といい、「問答寺」、「証拠堂」とも呼ばれ、承和2(835)年に慈覚大師円仁によって開かれたと伝えられています。寺は一時荒廃しましたが、長和2(1013)年に寂源によって復興されたものです。 (所在地:京都市左京区大原勝林院町187) |
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法然上人の腰掛石 勝林院から宝泉院に向かう道の角にある石で、浄土宗の開祖といわれる法然上人が勝林院を訪れた際に腰を掛けたと伝えられている石です。 |
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宝泉院 勝林院の僧房のひとつとして長和2(1013)年にされたお寺で正式な名称は魚山宝泉院といいます。 右の写真中央は、京都市の登録天然記念物に指定されていて、樹齢700年余といわれる五葉松で、樹高11m、枝張りが東西14メートル、南北11.5mあり、近江富士と呼ばれる三上山を象った扇形の樹冠となっています。 (所在地:京都市左京区大原勝林院町187) |
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囲炉裏の部屋 |
廊下から見る鶴亀庭園 |
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平成17(2005)年に、山形県や長野県から約300tもの石を運んで作庭された枯山水庭園の宝楽園 | |||||||||||||
宝泉院を出てから寂光院に向かいます。ここから歩いて約20分位かかります。 | |||||||||||||
高野川(左)と大原の里の風景(右) | |||||||||||||
朧(おぼろ)の清水 寂光院に向かう途中の大原女の小径にある湧き水ですが、今は水も少ないようでわずか奥の方に少しあるようです。 言い伝えでは、建礼門院が京都から寂光院へ移ってきた際、この清水のあたりで日が暮れ、朧月夜(春の季節の月光)によって自分の姿がこの水溜りに映った。そのやつれた姿を見て身の上を嘆いたといわれています。 (所在地:京都市左京区大原草生町102) |
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本堂 |
汀の池 |
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鐘楼 池のそばにあり、江戸時代に建てられた鐘楼の梵鐘は「諸行無常」の鐘と呼ばれています。 |
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