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鳳凰殿 随神門から境内に入って左側にあるのがこの鳳凰殿です。 鳳凰殿は神札授与所として又参集所として用いられており、鉄骨造りの三階建てで、朱塗、入母屋、正面唐破風となっています。 |
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社殿 東京大空襲の被害を免れた社殿は昭和9(1934)年に造営されたもので、当寺としては珍しい鉄筋コンクリート造りで、総朱塗の入母屋造りで正面唐破風となっており、国の登録有形文化財に指定されています。 |
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毎年2月3日の節分祭では大きな鬼の首が置かれます。これは「大江山凱陣(おおえやまがいじん)」です。 江戸時代の神田祭では本来の山車に劣らず人気を博していたのが「附け祭」といわれル出し物でした。附け祭とは、曳き物(ひきもの)と呼ばれた巨大なはりぼての人形や様々な流行の衣装を身にまとい流行の音楽を奏でながら行列に参加した踊り子などのことを言っていましたが、その代表的なもののひとつが、この酒呑童子という鬼の首を象ったとされる大江山凱神であったといわれています。 節分祭では境内に飾られるだけですが、二年に一度の神田祭では街中を練り歩くようです。 |
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神馬美幸号 平成22(2010)年長野県は佐久市生まれの牝馬で、通称「あかり号」とよばれています。 |
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魚河岸水神社 魚河岸水神社は水神である弥都波能売命(みつはのめのみこと)を祭神とする末社で、日本橋に魚河岸があったころに、徳川家の武運長久と大漁安全を祈願するため市場の守護神・大市場交易神として境内に祀られていましたが、明治時代の一時期には日本橋にある常磐稲荷神社の合殿に祀られていましたが、明治34(1901)年に境内に遷座しています。 |
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小舟町八雲神社 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)を祭神としている神田明神の摂社のひとつで、元和年間に江戸城内吹上御苑より遷座されたもので、牛頭天王三社のうちの天王三の宮と呼ばれています。 両脇に置かれているのは「小舟町」と名の入った鉄製の天水桶で、文化8(1611)年に江戸の魚問屋中間に属する商人、遠州屋新兵衛他十名の寄進で奉納されたもので、鋳物師釜屋六右衛門の鋳造によります。 |
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大伝馬町八雲神社 建速須佐之男命を祭神としている神田明神の摂社のひとつで、三天王のうちの天王二の宮と呼ばれていて、江戸時代以前より祀られていたと伝えられています。 6月5日に行われる天王祭、元和元(1615)年頃より行われていたという歴史があり、大伝馬町天王と称され、他の天王祭とともに大いに賑わったとのことです。 |
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江戸神社 建速須佐之男命を祭神としている神田明神の摂社のひとつで、三天王のうちの天王一の宮と呼ばれていて、大宝2(702)年に現在の皇居内に創建された江戸最古の地主神で、神田神社が現在の地に遷座する際にともにこの地に遷座し、太田道灌公ら関東の武将たち信仰され、江戸時代になると南伝馬町を中心とした人々により信仰されたところから、「南伝馬町持天王」とも称され、:現在でも崇拝されている神社です。 神社の神輿渡御は慶長10(1605)年に初めて行われ、元禄年間には江戸城内にも入ることを許され「天王祭」として神事が行われていました。 現在では2年に一度行われる神田祭で千貫神輿が宮入りし、多くの人で賑わっています。 |
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浦安稲荷神社 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祭神とする神社で、江戸平川(現在の神田川)の河口に近い内神田鎌倉町付近(現在では内神田3丁目付近のようです。)に、天正年間に勧請され、その後天保14(1843)年に現在地に遷座しています。 |
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三宿稲荷神社 境内末社のひとつで、創建の時期は不明ですが、宇迦之御魂神を祭神としており、江戸時代より神田三河町(現在の神田1丁目と神田司町2丁目付近および神田美土代町の一部付近)の守護神として祀られていました。 金毘羅大神 天明3(1783)年に武蔵国豊島郡薬研堀(現在の東日本橋二丁目両国町会)に創建され、大物主命(おおものぬしのかみ)、金山彦命(かなやまひこのみこと)、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)を祭神とし、隅田川の船人たちの守護神として信仰され、その後、町の発展と共に商家、特に飲食業や遊芸を職とする人々の厚い信仰を集めていました。 両社は昭和41年に境内に合祀されています。 |
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合祀殿 籠祖神社(猿田彦神、塩土老翁神)をはじめ、神田明神本殿に合祀されていた八幡神社(誉田別命)や富士神社(木花咲く耶姫命)、天神社(菅原道真命、柿本人麻呂命)、大鳥神社(日本武尊)、天祖神社(天照大御神)、諏訪神社(建御名方神)を合祀しており、平成24(2012)年に建立されたものです。 |
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祖霊社 神田明神の氏子、崇敬者の先祖をお祀りするお社として平成16(2004)年に創建されたものです。 |
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末広稲荷神社 元和2(1616)年ごろの創建といわれ、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、級長戸辺之命(しなとべのみこと)、級長津彦之命(しなつひこのみこと)を祀っていた旧社で、庶民の信仰を集めていました。現在の社は昭和41(1966)年に再建されたものです。 |
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国学発祥の地碑 社殿の東側にあるこの碑は、伏見稲荷大社の神職であった荷田春満が、江戸に出て国学の教場を開いたのが、神田神社社家の芝崎邸内であったゆかりから、昭和53(1988)年に建てられたものです。 |
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銭形平次の碑 銭形平次は野村胡堂の名作『銭形平次捕物控』の主人公で、神田明神下台所町(現在の外神田二丁目付近)となっており、その由来により明神下を見下ろすこの地に昭和45(1970)年に建てられたものです。平次の碑の右側には八五郎、通称『ガラッ八』の小さな碑があります。 |
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