亀ヶ岡石器時代遺跡(2021.10.14撮影) 亀ヶ岡石器時代遺跡fは、青森県つがる市にある縄文時代晩期の集落遺跡で亀ヶ岡遺跡とも呼ばれており、縄文時代を代表する土偶の一つである「遮光器土偶」が出土した遺跡として知られていて、昭和19年(1944年)に国の史跡に指定されています。 遺跡の発見は古く、元和8年(1622年)に当時この地を治めていた津軽藩第二代藩主の津軽信枚(つがるのぶひら)が、亀ヶ岡城を築こうとした際に土偶や土器が発見されたことが判っています。(なお、亀ヶ岡城の築城は徳川幕府が一国一城令を発布したことにより中断されました。) ここの地名の「亀ヶ岡」は「甕が出土する丘」に由来するといわれています。 また、江戸時代にここから発見された土器などは「亀ヶ岡物」と呼ばれ、好事家の間で取引され、遠くオランダ迄売られたものもあるとのことで、一説では1万個を超える土器類が勝手に発掘されて持ち去られたとのことです。 |
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昭和55年(1980年)の調査では、遺跡近くの田畑からは多くの土器、土偶、石器などが多く発見されたとのことですが、現在は無断で発掘することは禁止されているとのことですので、まだまだ埋蔵となっているものがあるのでしょうね。 |
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土坑募を調査した結果、底部の周りに溝があり、側面が木で囲われていた墓であったと推測されています。また、底面にはベンガラと水銀朱の赤い顔料が残っており、亡くなられた人の上に撒かれたのではないか考えられています。 |
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いまだ発掘作業は終わっていないようです。(上及び下2枚の写真) これを見ると60年以上前にボランティアで発掘作業をしたのを思い出します。 |
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つがる市縄文住居展示資料館 通称「カルコ」と呼ばれるこの資料館、館内に縄文時代の竪穴住居を復元して縄文時代の生活が再現されている他に、遺跡から出土した土器や石器、遮光器土偶のレプリカなどが展示されています。 |
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こちらは出土した土器でしょうか、それにしてはいずれも形がしっかりして壊れたところがありません。ひょっとしてレプリカでしょうか。 |
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時代とともに土器の形や紋様が変化しているのが判るように展示されています。考古学を勉強する人にはいい展示物です。 |
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展示されている土器は、縄文時代前期から中期のものですが、このように並べられていると形や大きさそして紋様が変化しているのが良く判ります。 |
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三戸町泉山遺跡から出土した土偶 |
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縄文時代前期中葉(約6000年前)の成人女性の骨ですが、骨盤から出産経験がある女性と判断されています。 |
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外ヶ浜町の今津遺跡から出土した縄文晩期の亀ヶ岡式土器 |
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