鹿児島街歩き その3 | |||||||||||
![]() |
|||||||||||
ウォーターフロントパークから見る桜島の日の出 日の出を待っていると南岳から上がる噴煙が、大きくなったり小さくなったりしています。 |
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
鹿児島旧港施設 一丁台場 鹿児島本港のところに出っ張ったかたちとなっている台場ですが、明治5年(1872年)ごろに築かれた鹿児島旧港の一部で、港湾技術の歴史敵遺構であるとのことで平成19年(2007年)に国の重要文化財に指定されています。 所在地:鹿児島市本港新町4 |
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
鹿児島旧港施設 遮断防波堤 旧港施設は、一丁目台場と同じ明治4年頃に海岸埋め立て地の波除けとして築かれたもので、遮断防波堤は、鹿児島市の修築事業で明治37年(1903年)に竣工しており、国の重要文化財に指定されています。 |
|||||||||||
|
|||||||||||
|
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
西田橋 橋は、江戸時代に薩摩藩が参勤交代時の道筋にあったとのことで、城下の玄関口となっていました。弘化3年(1846年)に木造造りであった橋を、現在の県道24号線が甲突川をまたぐ位置に架設された橋で、通称「眼鏡橋」とも呼ばれ、4連アーチ橋で全長は約50mあり、高欄にある青銅製の擬宝珠は木橋時代のものがそのまま取り入れられており、岩永三五郎の代表作ともいえる橋とのことです。 橋下の水は鹿児島市が子供たちが川遊び体験ができるようにと工夫したスポットということです。 |
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
西田橋御門 かつて西田橋の左岸側にあった御門で、明け六つ(現在の時間では午前6時前後)に開門し、暮れ六つ(午後6時ごろ)に閉門していたのことで、橋を通り武士や町人、領内を通過する旅人は橋の横にある番所で改めを受けていました。 橋のそばにある紹介文では、明治天皇が明治5年(1872年)に行幸した際に撮影した写真がありますが、その後の西南戦争でしており、当時の写真などを基に復元されています。 |
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
高麗橋 現在の甲突川に架かる高麗橋のところにあった橋で、弘化4年(1847年)に4連のアーチ橋で造られており、水害後の河川改修でこの地に移設されました。 |
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
|
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
玉江橋 嘉永2年(1849年)に架けられた4連のアーチ橋で、五石橋の内では甲突川の上流部にありました。(現在の玉江小学校そば) 橋の名前は、藩主島津斉興の衣類に付けられた「玉の印」に由来するという説と、橋がある付近は湿田が多くあり、雨が降るたびに入り江のように水がたまっていたことからついたとの説があります。 |
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
|
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
公園からは正面に桜島が遮るものなく一望できる撮影スポットとなっています。 |
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
|
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
「我は海の子」の歌碑 公園内にあるこの歌碑は、明治43年(1910年)発行の文部省「尋常小学校読本唱歌」に初出した『我は海の子白浪のさわぐいそべの松原に・・・・』で始まる歌の歌碑で、市内加治屋町生まれの宮原晃一郎の作詞ともいわれている歌です。今ではほとんど聞かれなくなった文部省唱歌、ページを作ろうとして調べていたら、島根県では数こそ少ないものの、現在でも歌い続けているとのこと。古い歌ですが、他の地域でも続けて歌い続けていただきたいと思いました。 (逆光状態での撮影のため、補正しても歌詞が読み取れる迄補正しきれませんでした。) |
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
旧鹿児島紡績所技師館 技師館は、江戸時代末期の慶応3年(1867年)に、鹿児島紡績所に招聘したイギリス人技師の住居として建築されたもので、通称は「異人館」といわれていました。建物は、コロニアル様式の木造二階建て、方形屋根造りで瓦葺、壁は白ペンキで塗られていました。 西洋建築として日本各地に建設された中でも、現存する二階建ての住居としては最初期のものであり、幕末の洋風化建築の進展を示す貴重な遺産です。 訪れたときは修復工事中で、工事用フェンスで囲われていて、外観全体を撮ることができず、近ければも一度出かけるのに、残念の一言です。 建物は昭和37年に国の重要文化財に指定され、平成27年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ(エリア2)としてユネスコの世界文化遺産に登録されました。 所在地:鹿児島市吉野町9685-15 |
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
|
|||||||||||
![]() |
|||||||||||
磯造船所跡 磯海岸近くにあるこの史跡は、かつて洋式戦の研究・開発を行っていた造船所があったところです。 江戸時代末期に当時の藩主であった島津斉彬は、西洋式の大型船が必要との考えから、長崎から船舶に関する絵図や技術書を取り寄せ洋式船の建造を命じました。 藩では軍船を管理する御船手の役人たちが、地元の船大工と長崎から招いた船大工たちと造船にあたり、実験船の三本マストの帆船「伊呂波丸」と小型帆船の「越通船(おっとせん)」を建造し、安政4年(1858年)には日本初の蒸気船雲行丸の開発にも成功しました。 |
|||||||||||
トップページに戻る 鹿児島街歩き その4を見る | |||||||||||
|