五島列島の旅 (2022.03.13~03.16)

2022年最初の旅はCT社主催の九州は長崎県にある潜伏キリシタンの歴史が息づく島々、五島列島巡りのの3泊4日の旅です。
旅のスタートととなった3月15日は羽田出発が午後2時20分と遅く、福岡空港で乗り継いで福江島の五島福江空港に着いたのが午後5時半過ぎ、空港からホテル差し回しのバスに乗り換え、ホテルに着いたのが6時過ぎでした。
 
 
   
  福岡空港から五島福江空港にはDHC-Q400型のプロペラ機で移動です。私としては2013年のフランスへ行った時に乗って以来以来9年ぶりです。
 
 
 

五島列島の旅 その1

3月14日の観光のスタートは、西海国立公園内にある五島椿園からです。出発前の天気予報では天候が悪く雨との予報が出ていましたが夜中に降っただけで曇り空ですが、持っている気象神社の晴れ守りのおかげでしょうか、何とか傘をささずに済みそうです。
椿園は標高315mの鬼岳の中腹にあり、五島椿椿森林公園の一部となっており、広さ6.0haの園内には約260種の椿が栽培されており、ここでしか見ることができない変わった品種や、各地から寄贈された椿があります。
 
 
 
 
   
  椿園の後ろには鬼岳が見えるのですがあいにくの濃霧のため薄っすらと山肌が見えるだけです。展望台に上ると五島列島の島々そして長崎市まで見渡すことができるようなんですけど、残念
 
 
 
 
玄海淡雪
佐賀県玄海町で自生する珍しい白色の椿です。
 
  玉之浦
濃紅色に白覆輪が特徴の椿です。
 
  
佐賀県牟礼町から寄贈された富白
 
  牡丹咲きのデッビー(Debbie) 
  
  
サウスシーズ (South Seas)
  
  君待
  
 
  椿園を出発し鐙瀬(あぶんぜ)熔岩海岸の見える鐙瀬ビジターセンターに向かいます。5分ほどで到着です。  
   
  鐙瀬熔岩海岸は鬼岳の噴火の際に流出した溶岩が10数kmに渡って海に流れ込み複雑な海岸線を形成したものです。ただ、鬼岳の噴火は有史以前のものとのことで、この熔岩海岸が何時できたかは不明のようです。
 
 
   
   
晴れていればきれいなんでしょうけど、まだ曇っており、あまりいい色が出ません。
 
 
   
 
鐙瀬熔岩海岸から島の西側にあるカソリック井持浦教会に移動です。バスで小一時間掛かります。
 
 
   
 

カソリック井持浦教会は、1895年(明治28年)にフランス人宣教師のペルー神父によって創建された、五島で初めてロマネスク様式で建てられたレンガ造りの教会です。教会の裏には神父の提案によって、日本で初めて造られたフランスのルルドを模したルルドがあります。なお、現在ある聖堂は、1987年(昭和62年)の台風の被害を受けて倒壊したため改築されています。
 
 
  
   
 
 
  教会の次は九州で一番最後に夕陽の見える大瀬断崖崎展望台に移動です。
 
 
   
   
展望台から見る大瀬崎
生憎濃霧のため岬もその上にある灯台も見えません。ここ大瀬崎は「五島層群」と呼ばれる地層のある場所で、形成している砂は中国の黄河などの砂と同じ組成とのことで、大陸とのつながりが感じられる場所といわれています。下の写真で分かるように縦には岩脈があり、横には何本もの岩脈が平行に走っています。
 
 
   
 
断崖を見た後は途中で昼食をとり、 高浜海岸に移動です。
 
 
 



立谷(たちや)教会跡

移動の途中にあったのは、五島最初のカトリック教会として1878年(明治11年)に巡回型の教会堂として建設された立谷教会の跡です。
建てられたこの時期は幕末で、流刑に処された大村藩の藩士らによって、日本で2番目に古い木造建築の教会が建てられましたが、1985年(昭和60年)の台風により倒壊。以後再建されることなく跡地にモニュメントを置くだけとなっています。
教会にあった無原罪の聖母像は一時期井持浦ルルド教会に安置されていましたが、1998年(平成10年)にこの近くに設けられた野外教会に置かれています。
 
     
 
   
  高浜海岸につきましたが相変わらずどんよりした曇り空です。正面奥にあるのは嵯峨島です。右側は魚籃観音がある展望台です。ここに上ると海岸が綺麗に見えるとか。
 
 
   
  展望台から見る海岸。曇っていてこれだけきれいに見えるということは、晴れていればもっといい写真になったのでしょうが残念です。
続いて向かうのは水ノ浦湾を一望できる高台に立つカソリック水ノ浦教会です。ここからバスで約20分かかります。
 
 
 



カソリック水ノ浦教会

カソリック水ノ浦教会は、大村藩領から移住した潜伏キリシタン達が住んでいたところで、禁教が解かれた1880年(明治13年)に最初の教会が建立されており、現在あるのは1938年(昭和13年)に、鉄川與助によって建てられた木造の教会です。
教会の奥にはゴルゴダの丘を模した「十字架の道行き(下の写真)」があります。(そういえばスロバキアを旅した時にニトラの街にある聖母被昇天教会のそばにも同じようなものがありましたね。写真はニトラでご覧になれます。)
 
 
 
   
   
  続いて向かうのは本日最後となる堂崎天主堂です。バスで約30分かかります。
 
 
   
  移動途中に見えたのはマグロの養殖場です。
 
堂崎天主堂

江戸時代のキリスト教禁教令以降、五島列島で初めて建立された教会で、その歴史は1879年(明治12年)に仮聖堂が建てられ、煉瓦造りゴシック様式の聖堂そのものが完成したのは1908年(明治41年)とそれほど大きくはない教会ですが30年近くかかっています。
ユネスコの世界遺産登録申請の際に「長崎の教会群とキリスト教関連遺産を構成する教会でしたが、現在はミサが行われておらず資料館となっていたために登録時には外されてしまいました。(内部は撮影禁止)
 
 
 
 
     
 
   
  敷地内にある左から「アルメイダの宣教」のフレスコ彫像、中央は1597年(慶長2年)に豊臣秀吉の命によりキリスト教弾圧のため処刑された、日本26聖人のうちの一人である聖ヨハネ五島の像、右端は「復活の夜明け」と名付けられたマルマン神父とペルー神父の像
 
 
  観光ルートマップ  
   
 
 
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