ギーンゲンとウルム  
 
ギーンゲン
 
 
ドイツ南部の町ギーンゲン、正式な町の名前は「ギーンゲン・アン・デア・ブレンツ」といい、人口2万人足らずの小さな町ですが、ここを訪れる観光客が増えているとのこと、あのテディベア発祥の地です。  
1902年この町に住むマルガレーテ・シュタイフが甥が描いたクマのスケッチを基にクマの人形を作り発売し、当時のアメリカ大統領ルーズベルトに贈ったことがアメリカ国内で人気が爆発、ルーズベルトの愛称「テディ」の名がつけられたといいます。

さすがテディベア発祥の町、町の入口となるロータリーには大きなクマの像があります。
 
       
   
町の駐車場でバスを降りると大きなクマの足跡がついています。この足跡をたどってゆくとシュタイフミュージアムに着きます。子供向けのミュージアムだと思っていましたが、結構大掛かりな仕掛けで体験型ミュージアムとなっています。子供だけでなく大人も結構楽しめます。  
     
   
     
   
旧市街のマルクト通り。中央の塔のある建物はギーンゲン市庁舎  
     
  崩れかけた壁には「PLAZ DER DEUTSCHEN EINHEITとあり、下に「3.Oktober 1990」と書かれたプレートがあります。
直訳すると「ドイツ軍ユニット」となりますが、ここに旧ドイツ軍の施設があったのでしょうか。
因みに1990年10月3日はドイツ統一の日です。
 
     
市教会
14世紀に最初の教会が建てられましたが、 17世紀半ばに火災で焼失し、その後再建されたものです。中に入ってみると子供たちの劇が行われていました。
   
 
     
  こちらは町の集会所のようです。入口の上には「1869年」とあります。日本では明治元年ですよね。
日本で町の集会所ができたのはいつごろでしょうか。
 
     
ギーンゲンで早めの昼食をとって12時過ぎにウルムに向けて出発。ウルムに到着したのは午後1時少し前です。  
       
ウルム
   
ドイツ南部のバーデン=ヴュルテンベルク州にある町ウルム、ドナウ川沿いにあって中世より交通の要所として発展した町で、14世紀前半には手工業が盛んになり、同世紀後半にはシュヴァーベン都市同盟(シュヴァーベン地方の治安を守る自治組織)の中心的役割をなしていました。第2次世界大戦では町の80%近くを破壊されるという被害にあいましたが、見事に復興されています。
ここウルムは相対性理論でノーベル賞を受賞した物理学者アルベルト・アインシュタインが生まれたところです。


右の写真は町の中心ミュンスター広場です。
     
ウルム大聖堂
 
ミュンスター広場にあるこの大聖堂、1383年に教区教会堂として献堂式が行われたのちに、1392年にその威を市民に見せるために大聖堂並みの規模にすることとなり、身廊部は1420年ごろにほぼ完成するも鐘楼部分の完成は途中約300年もの間工事が中断し、1890年ごろに完成したものです。鐘楼先端までの高さは161.53mと教会建築としては世界一の高さを誇っており、141mのところにある展望台までは階段768段を利用して登ることができます。
第二次世界大戦で大きな被害を受けたこの町ですが、この大聖堂は被害を免れています。
右の写真はミュンスター広場にある「ライオンの噴水」です。
   
 
     

                         正面ファサード
 
身廊部(天井までの高さは42mあります。)                
 
     
        
 
     
ウルム市庁舎
マルクト広場に面して建てられているこの市庁舎は、1370年に商館として建てられ、その後1419年から市庁舎として使用されています。
壁面には見事ななフレスコ画が描かれています。中世の時代に描かれたものにしては色あせずに残っています。また、南面の壁には1520年に完成した大きな天文時計が取り付けられています。
   
   
   
     
スズメのモニュメント
鳩家と思っていた調べたら、スズメのモニュメントです。
昔、建物を建てようとしたとき門のところを材木が通らないことがあったようで、その時門の上でスズメが小枝を咥えて、縦にしたり横にしたりして巣をつくっているのを見かけて、問題が解決したということで、町が発展したといわれていますが本当でしょうか、ちょっと嘘っぽい感じもしますけど。スズメは町のシンボルです。
   
     
肉屋の塔(metzgerturm)
「ウルムの斜塔」とも呼ばれているこの塔は1340年市壁のそばに建てられたもので、「肉屋の塔」なんて変な名がついている謂れは、伝説では肉不足の時代に肉屋たちがソーセージにおが屑を混ぜて販売し、これが市民に発覚し、怒った市民たちがこの塔に肉屋たちを閉じ込めたころ、一ヶ所に集まっていたため塔が傾いたといわれていますが、実際は塔がドナウ川のそばに建てられており、地盤が弱かったために傾いたもののようです。
写真ではよくわかりませんが、36mの高さの塔が3度ほど傾いてます。
 
 
 
     
漁師の一角( Fischer Viertel)
この地域は、ブラウ川の支流がドナウ川と合流するそばにあり、昔川漁を行っていた漁師や漁具の職人達が住んでいたことからこう呼ばれていたとのことであり、中世時代の木骨組の古い家が建ち並ぶ一角となっています。
 
   
     
世界一傾いた家
漁師の一角にあるこの家は、1443年に木骨組構造で建てられ、当時は船乗りたちが利用していたようです。その後オーナーが何代か変わって現在ではホテルとして利用されています。
写真ではそんなに傾いているようには見えませんが、床面で見て一番低いところと高いところで40㎝ほど差があるそうです。
この家はギネスブックに「世界一傾いたホテル」として登録されているようです。
   
 
     

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