ギーンゲンとウルム | |||||||||||
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町の駐車場でバスを降りると大きなクマの足跡がついています。この足跡をたどってゆくとシュタイフミュージアムに着きます。子供向けのミュージアムだと思っていましたが、結構大掛かりな仕掛けで体験型ミュージアムとなっています。子供だけでなく大人も結構楽しめます。 | |||||||||||
旧市街のマルクト通り。中央の塔のある建物はギーンゲン市庁舎 | |||||||||||
崩れかけた壁には「PLAZ DER DEUTSCHEN EINHEITとあり、下に「3.Oktober 1990」と書かれたプレートがあります。 直訳すると「ドイツ軍ユニット」となりますが、ここに旧ドイツ軍の施設があったのでしょうか。 因みに1990年10月3日はドイツ統一の日です。 |
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こちらは町の集会所のようです。入口の上には「1869年」とあります。日本では明治元年ですよね。 日本で町の集会所ができたのはいつごろでしょうか。 |
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ギーンゲンで早めの昼食をとって12時過ぎにウルムに向けて出発。ウルムに到着したのは午後1時少し前です。 | |||||||||||
ウルム |
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ドイツ南部のバーデン=ヴュルテンベルク州にある町ウルム、ドナウ川沿いにあって中世より交通の要所として発展した町で、14世紀前半には手工業が盛んになり、同世紀後半にはシュヴァーベン都市同盟(シュヴァーベン地方の治安を守る自治組織)の中心的役割をなしていました。第2次世界大戦では町の80%近くを破壊されるという被害にあいましたが、見事に復興されています。 ここウルムは相対性理論でノーベル賞を受賞した物理学者アルベルト・アインシュタインが生まれたところです。 右の写真は町の中心ミュンスター広場です。 |
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正面ファサード |
身廊部(天井までの高さは42mあります。) |
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ウルム市庁舎 マルクト広場に面して建てられているこの市庁舎は、1370年に商館として建てられ、その後1419年から市庁舎として使用されています。 壁面には見事ななフレスコ画が描かれています。中世の時代に描かれたものにしては色あせずに残っています。また、南面の壁には1520年に完成した大きな天文時計が取り付けられています。 |
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スズメのモニュメント 鳩家と思っていた調べたら、スズメのモニュメントです。 昔、建物を建てようとしたとき門のところを材木が通らないことがあったようで、その時門の上でスズメが小枝を咥えて、縦にしたり横にしたりして巣をつくっているのを見かけて、問題が解決したということで、町が発展したといわれていますが本当でしょうか、ちょっと嘘っぽい感じもしますけど。スズメは町のシンボルです。 |
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肉屋の塔(metzgerturm) 「ウルムの斜塔」とも呼ばれているこの塔は1340年市壁のそばに建てられたもので、「肉屋の塔」なんて変な名がついている謂れは、伝説では肉不足の時代に肉屋たちがソーセージにおが屑を混ぜて販売し、これが市民に発覚し、怒った市民たちがこの塔に肉屋たちを閉じ込めたころ、一ヶ所に集まっていたため塔が傾いたといわれていますが、実際は塔がドナウ川のそばに建てられており、地盤が弱かったために傾いたもののようです。 写真ではよくわかりませんが、36mの高さの塔が3度ほど傾いてます。 |
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漁師の一角( Fischer Viertel) この地域は、ブラウ川の支流がドナウ川と合流するそばにあり、昔川漁を行っていた漁師や漁具の職人達が住んでいたことからこう呼ばれていたとのことであり、中世時代の木骨組の古い家が建ち並ぶ一角となっています。 |
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ヨーロッパ・ブナ |
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