琥珀の街グダンスク バルト海に面したポーランド北部の都市グダンスク(グダニスクとも呼ばれています。)、世界的な琥珀の特産地でもあるこの街の名前の語源は市内を流れるモトヴァ川の古名である「グダニャ川」からきているそうで、千年以上の歴史があるこの街はハンザ同盟の都市として中世に栄えゴシック、ルネサンスそしてバロック様式の建物が多く残されていたが、第二次世界大戦の勃発により街の90%以上を破壊されており、現在の街の姿は1952年のポーランドの独立以降に復元されたとのことである。 また、1989年の民主化がこの街にあるグダンスク造船所の労働者が組織する「連帯」の運動によってスタートしたことでも知られています。 |
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バルト海 前日泊まったホテルがバルト海のそばだったので日の出の写真を撮ろうと朝4時半過ぎに起きて海岸まで出てみましたがあいにくの曇り空。残念! |
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白鳥の塔 なぜ白鳥の塔というか調べるもネットでは名前だけでその経緯は不明。 更に調べると、オールド・ゲートという名もあるようで、この塔の裏に門がついています。ここはモトワヴァ川と運河の間の島(中洲=穀倉島と呼んでいたようです。)となっているようでここに穀倉があったとなっているので、穀物倉庫だったのかもしれません? |
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ジェロニー橋より見る緑の門(下左)とモトワヴァ運河沿いの旧市街(下右) 旧市街への入口はモトワヴァ川に架かるジェロニー橋を渡ってすぐにある16世紀の半ばにマニエリスム様式で建てられたこの緑の門からとなります。橋を渡った右手には旧市街の街並みが見え奥には「鶴(ジュラフ)」という名の木製の大きなクレーンが見えます。 |
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木製クレーン モトワヴァ運河沿いに建てられたこの木製クレーンは、ハンザ同盟の都市として栄えたグダンスクの港に着いた船の荷物を吊り上げるのに造られ、重さ2トンの荷物を高さ27mまで持ち上げたることができましたが、その動力はなんと人力でひとつのドラム(下右の写真)に2人が入ってハムスターのように歩くことによりドラムを回してクレーンの上下を行ったとのことです。 |
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聖マリア通り(マリアッカ通り) 木製クレーンのそばにある聖マリア門(下左)をくぐると中世の建物が石畳の道の両側に並び奥には聖マリア教会の尖塔が見えます。通りの両側は琥珀を売るお店がいくつもあります。 |
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王の礼拝堂 ポーランド王ヤン3世ソビエスキの寄付により17世紀の後半にバロック様式で建てられたもので、後ろの建物は聖マリア教会です。 |
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王の礼拝堂前にあるライオンの像 王の礼拝堂前の広場には4頭のライオンの像があります。まだ寒いことのあるこの時期作動していませんが夏には画面の中央に見える丸い部分から噴水が作動するようです。 |
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聖マリア教会 14世紀の半ばから15世紀初めにかけて150年に亙ってゴシック様式で建設されたヨーロッパ最大のレンガ造りの教会です。全景を撮るに適したところがないので一部だけの撮影となりました。教会の鐘楼は高さ82mで上に上がるとグダンスクの街が一望できるとのことで上がってみましたが、なんと階段の数は409段。息も絶え絶えになりながら上まで登りに汗ビショになる始末でした。 |
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大兵器庫 この建物が兵器庫なんてというのが一目見た感想ですが、見事な装飾が施されたこの建物は17世紀の初めにマニエリスム様式で建てられたとのこと。 |
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琥珀博物館 建設当時要塞として、その後300年に亙って囚人の収容所としていたようですが、現在は琥珀博物館となっています。右奥の建物は高い門といって緑の門とは反対側にあたるもうひとつの旧市街への入口となる門です。下右の写真は金の門から撮影 |
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金の門(ズオタ・ブラマ) 17世紀に立てられたアーチ型のこの門は「勝利の門」と呼ばれ、当時の国王の行列がこの門を潜ってグダンスク市内に入ったとか。 門を潜った先は街の中心部にあたるドゥウガ(ドゥーガ)通りです。(下左は琥珀博物館側から、下右はドゥウガ通りから撮影) |
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第二次世界大戦直後のグダンスクの街の様子 金の門の中には大戦により破壊された街の様子が写された何枚かの写真が掲げられていました。 |
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ドゥウガ通り(正面奥は金の門と琥珀博物館の塔) |
ドゥウガ通りから見る緑の門 |
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