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楼門 天正17年(1589年)に豊臣秀吉の造営による楼門で、神社の楼門としては国内最大のもので重要文化財に指定されています。 |
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権殿 寛永12年(1635年)に檜皮葺きの五間社流造で建立され、社殿を修理する際などでご神体を仮に奉安するところで仮殿(かりどの)或は若宮とも呼ばれており、重要文化財に指定されています。 |
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外拝殿(げはいでん) 天正17年(1589年)に檜皮葺きの入母屋造りで造営され舞殿とも呼ばれ、天保11年(1840年)に改築されており、重要文化財に指定されています。 |
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内拝殿 昭和36年(1961年)に造営されたもので、本殿がすぐ隣にあります。 |
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本殿 創建時の伏見稲荷大社は、応仁の乱により応仁2年(1468年)に稲荷山にある社殿すべてが焼失し、明応3年(1494年)に檜皮葺き、五間社流造で再建されたもので重要文化財に指定されています。 |
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玉山稲荷社 鳥居の奥にあるのが末社のひとつである玉山稲荷社で、玉山大明神を祀っており、この右奥から千本鳥居が始まります。 |
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歩き出して5分くらいで鳥居が二方向に分かれます。上に架けられた横断幕には「千本鳥居は右側通行です」とあります。訪れる外国人が多いからでしょうか日本語だけでなく英語、中国語、韓国語でも書かれています。鳥居の幅が狭いのですれ違うのが厳しいため一方通行としているようです。 朝早く出かけたのでまだ鳥居を通る人は少なかったですが、帰りは行列のようになっていました。 |
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奥社奉拝所 約10分くらいで一方通行が終わ終わります。ここは通称“命婦谷(みょうぶがみ)”といわれるところで、「奥の院」の名で知られています。 この奉拝所は昭和50年(1975年)に造営されたもので、この後に重要文化財に指定されている奥宮がありますが、撮影禁止となっています。 |
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おもかる石 奥社奉拝所の後ろに一対の石灯籠があり、その燈籠の頭(空輪)を願い事をしながら持ち上げると、自分が予想していた重さより軽ければ願いがかない、重ければ願いが叶い難いという「試し石」で「おも軽石」といわれています。 |
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奥社を過ぎると道は階段となり上り道となります。年寄りには結構きついのぼりが続きます。 | ||||||||||
福繁大神・大岩大神・白玉大神 | 新池(こだま池) |
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こだま池のところには休憩所があります。 | ||||||||||
休憩所から更に上ること約5分で山の中腹にある三つ辻に着きます。稲荷山の頂上まではまだ30分くらいかかりそうですが、他にも回って写真を撮りたいのでここでUターンです。 | ||||||||||
稲荷山全体にある末社は20社以上ありますがこれは三つ辻そばにある玉姫大神を祀っている玉姫社(左)と白狐大神を祀っている白狐社(右)です。 | ||||||||||
東丸(あずままろ)神社 伏見稲荷大社と接したところにあるこの神社は、伏見稲荷大社の社家に生まれた江戸時代の国文学者荷田春満(かだのあずままろ)を祀る神社です。 春満は賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤と共に国学の四大人の一人といわれる人で、明治16年(1883年)に正四位を賜ったのを記念して創建されたもので、学問の神様として知られ、受験シーズンには訪れる受験生が奉納する合格祈願の絵馬や折り鶴でいっぱいになります。 |
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東丸神社の合格祈願の絵馬と折り鶴 |
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