フェズ
 
世界で最も複雑な迷路の街として有名なフェズの街は9世紀のはじめにモロッコで最初のイスラム王朝の都として栄え、先住のベルベル人、イスラム教徒やアラブ人が住み着き、街が大きくなっていったようです。
フェズの街は3つの地域に分類され、以前からあった市街をフェズ・エル・バリ、13世紀半ばからのマリーン朝時代に作られた市街をフェズ・エル・ジュディド、更にフランス領時代の20世紀にできた新市街をヌーベル・ヴィルと呼んでいるそうです。
下の写真は街からちょっと離れた高台からの展望で、この3つの市街が一望できます。訪れたときは朝8時半ごろでしたが、靄がかかっていてきれいに撮ることができなかったのが残念です。なお、フェズ旧市街は1981年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。
 
王宮
フェズ・エル・ジュディド知久にあり、かつてのスルタンの居城であったものが、何度も増築と改築が行われ、現在はモロッコ国王が、フェズに滞在するときに使用されているそうです。王宮の正門は漆喰と色とりどりのタイルで装飾されていてとてもきれいです。
 
  王宮正門上部の漆喰彫刻とモザイクタイル
ブー・ジュルード門
旧市街メディナ(フェズ・エルバリ地区)の入口では最大の門で、1913年に建造され青や緑のタイルで彩られています。門の奥に見えるモスクのミナレット(尖塔)は、左がブー・イナニア・マドラサ、右がシディ・ルッザー・モスクのものです。
この門をくぐると迷路の街中に入ります。現地ガイドさんの後ろについてはぐれないようにしないと、だけど写真はいっぱい撮りたいし・・・
 
  メディナの中に入るとこのようなスーク(市場)が見受けられます。道幅はせいぜい3から4m位、品物が道路にはみ出て置かれているので、もっと狭く感じます。
当然車は入れませんから、荷物の運搬手段はもっぱらロバに頼ることとなり、これより狭い道では、通る人はロバが来るたびに避けることとなります。
  水時計
14世紀の初め頃に作られたものだそうで、現在は動いていませんが、水を使ってチャイムを鳴らしていたとのことです。
ブー・イナニア・マドラサ
14世紀にブー・イナニア王によって建てられたマリーン朝最大の神学校で、中庭中央には身を清めるために用いた水盤があり、壁はモザイクタイル、漆喰そしてアトラス杉を用い幾何学模様で作られています。
 
  ネジャーリン・フンドゥーク
ネジャーリング広場にあり、「フンドゥーク」とは、アラビア語で「宿」のことで、18世紀に建てられ当時は高級ホテルとして評判であったとか。現在は修復されて木彫りの工芸品等を展示する「ウード博物館」として用いられています。
  ネジャーリン広場の泉
「泉」といわれて、よく見ると蛇口から水がチョロチョロ出ています。漆喰彫刻とモザイクタイルがきれいなので、そちらに目を取られていわれなければそのまま通り過ぎてしまうかも。
  ザウイア・ムーレイ・イドリス廟
「ザウイア」とは修道院のことで、ムーレイ・イドリス2世の墓があり、かつてはムスリム(イスラム教信者)の犯罪者がここに入ると保護されるという、日本で言えば「駆け込み寺」として利用されたとのことです。
フェズの中で最も聖域とされており、ムスリム以外は中に入ることができません。
メディナの路地
メデイナの中で商店のある路地はもうちょっと幅が広いですが、横道は幅が2メートルくらい。この路地を進むとどこへ迷い込むのか・・・・
  
タンネリ
「タンネリ」とは、フランス語で「皮なめし工房」のことで、現地の言葉では「スーク・ダッバーギン」といいます。この近くに進むと異様な匂いが漂い、一瞬気持ちが悪くなりますが、不思議なことにすぐ慣れてしまい、後はあまり気になりません。
左の写真は丸い甕を用いて染色が行われているところ、右の写真は染色後の皮を建物の屋上で干しているところです。
 
メディナの風景
工房の建物の屋上から見る旧市街の街並みです。建物の屋上には無数のパラボラアンテナが据え付けられています。
 
  サファーリン広場
この広場もそんなに大きくありません。階段にある鍋は売り物です。
約2時間半メディナの中を観光した後に、昼食をとってアトラス山脈を越えてエルフードへ向かいます。エルフードまでは約6時間とのこと。広大な原野、といっても大半は荒れた大地で、牧草地では羊やヤギが放し飼いされています。

羊の放牧
 
        ジース渓谷にある川

残雪のオート・アトラス山脈
 
    エルフード近郊での日没    
エルフードのホテルに到着したのは日もすっかり落ちた7時ごろ、明日はいよいよサハラ砂漠の日の出の観光です。モーニングコールは4時20分です。
 
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