死海とクセイル・アムラ
 
 
死海
 
ヨルダンとイスラエルの間にあるこの湖、大きさは琵琶湖の1.4倍の940km²ですが、水面の標高はなんと-405m。この地域の年間降水量は100mm以下と極端に少なく、気温は冬でも20℃以上、真夏は40℃近くになり、おまけに死海に注ぐ川はヨルダン川だけで、湖から外に流れ出る川もありません。
湖水の蒸発に対して水分供給が少ないことから高い塩分濃度の湖ができたようです。どのくらい塩分が高いかというと、一般的な海水の塩分濃度が3%ぐらいであるのにここの塩分濃度は約10倍の30%。このため、生物はほとんど生育ができず、塩分濃度の高さから湖水の比重も高く浮力も当然大きくなるので泳げない人でも沈むことができません。
朝食をとってから出発までの小一時間、我々ツアー客も水着になって浮遊体験を楽しんでみました。
 
   
上は死海の風景です。湖の対岸はイスラエルですが、11月半ばにしては気温が高くもやがかかっておりよく見えない状態です。
 
湖に入って寝転ぶようにすると簡単に浮いてしまいます。そのまましていても沈む気配はまるでありません。
 
泥パックを楽しむ人たち
死海の泥はミネラルをたっぷり含んでいるので体によいとの評判でのようです。
 
  浜辺にあったコンクリートブロックはごらんのように塩の結晶が
 
ネボ山
死海のホテルを10時に出発、30分ほどでマダバにあるネボ山に到着します。ここは旧約聖書に出てくるモーゼが、約束の地カナンを前にして120歳で亡くなったといわれる場所です。展望台に上ればモーゼが見たと同じ景色が見えるはずですが、ごらんのようにかすんでほとんど見えない状態です。
 
 
   
    
    
左からモーゼの記念碑、ローマ法王パウロⅡ世の訪問記念碑、蛇と十字架  
  
聖ジョージ教会
街のほとんどの人がキリスト教徒というマダバの街、イスラム教の信者が90%以上のヨルダンにあって珍しいとのことです。この教会はギリシャ正教の教会で、中には6世紀に200万ピースのモザイクで描かれたパレスチナの地図が残されています。
 
 
  
 
クセイル・アムラ(アムラ城)
マダバで食事してからバスは小一時間走りクセイル・アムラに到着です。周りは砂漠地帯でお城以外に何もありません。
このお城はウマイヤ朝時代の8世紀に城館として建てられたと推測され、浴場施設を中心としていたようで、当時使用していた井戸や謁見の間と側室、調理室、それに脱衣室、冷水浴室と温浴室そしてサウナ室等が完備した浴場施設があり、イスラム帝国以降の浴場施設としては最古のものだということです。つまりハマムがここから始まったのかも?
内部には当時としては非常に珍しい裸婦のフレスコ画が残されていたりしますが、そのほかのお城らしい施設はなく、ほかのお城とは変わった感じがします。
尚、このお城は1985年に「アムラ城」としてユネスコの世界遺産に登録されています。
 
        
 
        
  井戸跡
中をのぞいてみましたが結構深そうです。 
 
        
   
浴室内に残されている裸婦のモザイク画(暗くてちょっと見にくいですけど)  
        

サウナ室
   
        
 
    

ジェラシュ遺跡へ行く途中での夕焼け
 
    
午後3時過ぎに今日の宿のあるアンマンに向けてクセイル・アムラを出発、5時半にホテル到着です。   
 

 
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