バルデヨフ市街保護区 バルデヨフ(Bardejv)に着いたのは午後4時過ぎ。 ここバルデヨフは、ポーランドとの国境に近いスロバキアの東部にあって交易路として、また腫瘍、消化器症状に効果のある温泉保養地として知られ栄えた町です。 町は14世紀に要塞都市として設けられた市壁に囲まれ、ポーランドとの交易が盛んで50以上もの商業組合が組織され、自由都市として繁栄しましたが、戦乱や疫病の発生もあり16世紀以降衰退するに至りました。市壁に囲まれた旧市街は、1950年にはチェコスロバキア政府が都市環境保全地域に指定しており、中世の時代に建てられた歴史的建造物が多く残されていて、2000年にはユネスコの世界文化遺産に「バルデヨフ市街保護区」として登録されている街です。 ここでは約1時間街中を自由散策です。 |
|||||||||||
駐車場でバスを降り、まずは旧市街の中心である市庁舎広場(ラドニッネー広場(Radničné námestie)とも呼ばれています。)に行きます。 | |||||||||||
広場の中央には旧市庁舎(Hall Bardejov)があります。旧市庁舎の反対側に回ると、旧市庁舎の奥には聖エギーディウス大聖堂(Bazilika sv. Egídia)が見えます。(下の写真) | |||||||||||
|
|||||||||||
旧市庁舎は、1505年に建てられその後何回か改築されていますが1階はゴシック様式、2階はルネサンス様式となっており、現在は博物館として使用され、展示場としても利用されています。 | |||||||||||
エギーディウス大聖堂 13世紀に建てられたシトー会の修道院が基となるこの大聖堂は、ゴシック様式で1427年に建てられたもので、建築後火災や地震に何度も見舞われ、第2次世界大戦中の1944年には爆撃にあうという被害を受けましたが、その後再建されたものです。 |
|||||||||||
イコン博物館(The Exposition of Icons) 市庁舎広場に面して建つこの建物は、カルパチア地方で用いられてきたイコンの歴史を展示している博物館で、昭和45(1970)年に開催された大阪万博の会場でも展示が行われています。 |
|||||||||||
|
|||||||||||
|
|||||||||||
要塞都市といわれただけあって大きな見張塔がいくつもあります。 左のクラストルナー要塞は「修道院要塞」で3階建て、右はスコルスカ要塞は4階建てで「水の要塞」とも呼ばれていたようでが、これ以上は調べても詳しい情報は得ることができません。 |
|||||||||||
|
|||||||||||
城壁の外には噴水があり、そばにはブランコなどもある子供の遊び場となっています。 | |||||||||||
城壁に沿って少し歩いてみます。 | |||||||||||
こちらは町の北側にあるルネサンス要塞(Renesančná bašta)16世紀末に設けられたもののようです。 | |||||||||||
城壁の外から見るルネサンス要塞(Renesančná bašta) | |||||||||||
|
|||||||||||
町の北東部にあるドルナー門(Dolná brána) 15世紀前半に設けられたもので、中央の鉄柵のある部分のところは、当時木製の跳ね橋であったようです。ゲートの両側は濠となっています。 |
|||||||||||
ドルナー門そばの濠の様子 | |||||||||||
|
|||||||||||
ベルカ要塞(Veľká bašta) 直訳すると「偉大な要塞」となりますが、この見張塔は町の東側にあって、他の見張り塔が円形であるのに対し、半円形で造られています。現在は博物館の倉庫として用いられています。 |
|||||||||||
ハルバ要塞(Hrubá bašta) この要塞こちら側は四角になっていますが、反対側は半円形のいわゆる馬蹄型で造られており、町の東南にある要塞で、兵器や弾薬の倉庫となっていました。(反対側は逆光のため馬蹄の形で撮れません。) |
|||||||||||
町の中をぐるりと回るとちょうど集合時間、午後5時15分コシツェのホテルに向けて出発です。 | |||||||||||
トップページに戻る スロバキアその2に戻る スピシュ城を見る | |||||||||||