陸前高田(2021.04.19撮影)

岩手県の三陸海岸に面した町の中で広田湾を望む陸前高田の町、2011年3月11日の東日本大震災では震度6弱の地震で市の中心部が壊滅状態となり、津波と地盤沈下等によって市全体で見ても7割以上が何らかの被害を受け、死者及び行方不明者が合計で2,000名以上となりました。
震災後10年を経た今日、町の高台に市役所、県立病院等の主要施設の移転が行われ、住宅等の整備も進んでいるようです。
景勝地として知られていた高田松原には70,000本ともいわれ日本百景にも選定されていた松原がありましたが、10mを超える大津波の被害を受けその殆どでなぎ倒されて壊滅し、残った一本の松が「奇跡の一本松、「希望の松」と呼ばれていました。しかしこの松の木も根腐れのため枯れ死となり、現在では復興を象徴するモニュメントとして防腐処理をほどこしたのちに元の場所に建てられています。
松原の跡は高田松原復興記念祈念公園として犠牲者への追悼と鎮魂、そして後世への伝承のため追悼・記念施設が設けられています。
公園内には東日本大震災津波伝承館(愛称:いわてTSUMAMIメモリアル)を整備し、震災の事実教訓を後世に伝え、復興する姿を発信しています。

右の写真は奇跡の一本松
 
 
   
   
     
   
   
   
  被災した田野畑村の消防車  
   
     
   
  伝承館を出て海岸に向かうと献花台があり、その先は追悼の広場、川原川を渡って海を望む場となります。
 
 
   
  追悼の広場から伝承館を望む
 
   
  右には防潮堤が二段で築かれており、正面には松原大橋、左端奥には陸前高田市の運動公園が見えます。
 
 
   
  反対側を見ると正面奥にしおさい橋、橋のたもとに松の木が見えます。奇跡の一本松です。  
     
   
  防潮堤の上に上がると広田湾が望めます。手前にはかつて7万本あったあった高田松原があり、松原の再生を図るため松の苗木が植樹されています。50年後には昔の姿を取り戻そうと運動が続けられています。  
   
   
  高田松原公園内にあった陸前高田ユースホステル、震災前から無期限休館中であったとのことで人的被害はなく、ホテル敷地内の松の木1本が残っただけでした。建物は、このまま震災遺構として保存が行われます。
 
 
   
  気仙川の奥には被災した陸前高田市立の気仙中学校の遺構が見えます。
学校は気仙川の河口近くにあり、地震の際には津波が一番早く到達、校舎や体育館は全壊したものの、教師や近隣住民の判断で人的被害受けることはありませんでした。
 
      
   
  奇跡の一本松
 
 
   
  漫画家やなせたかし氏が名付けたひょろ松さんのイラストを基に造られたモザイクタイル画  
     
     
     
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