横浜山手西洋館巡り撮影日2009.06.02)

開港150周年となった横浜には、明治の末期から昭和時代初期に建てられた西洋館があります。根岸線の石川町の駅から西洋館巡りをして見ました。
   
ブラフ18番館

関東大震災の後に建てられた外国人の住宅で、戦後は教会の司祭館として使用され平成3年に横浜市が寄付を受けて山手イタリア山庭園に移築し一般公開されています。
 
   
外交官の家

明治43年に東京渋谷の南平台に建てられたこの建物は明治政府の外交官の家でしたが、平成9年に横浜市が寄付を受け山手イタリア山庭園に移築したもので、国の重要文化財に指定されています。
 
   
         

建物の前にある幾何学模様のイタリア山庭園
 
建物の裏側
 
        
  イタリア山庭園から見る横浜市街
新装成ったマリンタワーが望めます。
 
        
山手公園

明治3年(1870年)に開園した日本で最初の洋式庭園で、庭園内には開園120年を記念した石碑(右の写真)がありますが古くなって読みにくくなっています。
 
 
山手68番館

外交官の家を出てから山手本通りを元町方向に歩き山手公園にあるこの建物、昭和9年に建てられたものをこの地に移設しており、現在はテニスクラブのクラブハウスとして利用されています。右側の写真はテニス発祥記念館で、明治9(1876年)年にわが国で始めてテニスが行われたのを記念して平成10年に建てられたものです。
 
   
        
  山手カトリック教会

1862年ゴシック様式で横浜開港後に建てられた日本最初の教会で、関東大震災により創建時の建物は崩壊しており、現在の建物は1933年に再建されたものです。
 
ベーリックホール(旧ベリック邸)

山手68番館から山手本通りに戻って元町方向に5分くらい歩いたところにあり、昭和58年(1930年)にベリック氏の邸宅として建てられたもので、現存する山手西洋館の中で最大規模の建物です。
 
   
エリスマン邸

ベーリックホールのすぐそば元町公園にあり、生糸商社支配人のエリスマン氏の邸宅として大正の末期に建てられ、マンション建設のため取り壊されたものを平成2年にこの地に移設しています。
 
   
        
  山手234番館

エリスマン邸の斜め前、山手本通りに沿って建っていますが、街路樹があるので見落としがちです。昭和2年に共同住宅いわゆるアパートとして建てられたものです。
 
        
公衆電話ボックス

元町公園沿いに建てられいるこの公衆電話ボックスレトロな形をしていますが、明治33年に建てられた自働電話(当時は公衆電話をこう呼んでいたようです。)ボックスを、平成2年に再現したもので、なかには古い送話器がおかれています。
   
          
 
  山手資料館

山手234番館から更に東に歩いて2分くらいのところにあります。
 
  山手十番館

横浜資料館から歩いてすぐのところにありますが、現在はレストランとなっています。
 
        
  外人墓地とランドマークタワー

山手十番館と道を挟んだ反対側から見た風景です。
 
        
  横浜市イギリス館

港の見える丘公園の中にあり、昭和12年(1937年)にイギリス総領事の公邸としてここに建てられたものです。
 
        
  山手111番館

イギリス館の南側噴水のある広場のところにあります。大正15年に建てられたものですが、他の建物と違ってスパニッシュスタイルで建てられています。
 
        
  フランス山の旧フランス領事館の遺構

港の見える丘公園内に崩れかけた建物があります。この建物がある区域は「フランス山」と呼ばれ、治明治初期にフランス軍が駐屯した区域で、フランス軍撤退後に領事館が建てられましたが、関東大震災で焼失、その後再建されるも不審災により再度焼失。その後再建はされず現在の姿となっています。
 
 
    
    
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