ヴェリコ・タルノヴォ

カザンラクを出発してから約2時間でブルガリア北東部のヴェリコ・タルノヴォに到着します。
ここヴェリコ・タルノヴォは周囲を蛇行して流れるヤントラ川とその周りのいくつもの丘に囲まれた街で、ブルガリアでも最古の集落の一つであり紀元前3千年頃に人間が居住していた痕跡が残っているとのことです。
かつてタルノヴォとよばれていたこの街は、12世紀から14世紀にかけて強固な要塞が築かれ、第二次ブルガリア帝国の首都として栄え、一時はビザンツ帝国を凌ぐ勢いとなり、バルカン半島全体を支配するほどであったいわれています。しかしながら、オスマン帝国が侵攻してきた1398年に激しい戦闘の末陥落、その後1877年にロシアの将軍ヨシプ・ヴラジーミロヴィチ・グルコ が、露土戦争でオスマン帝国を打破し解放するまでの500年間オスマン帝国の支配を受けることとなりました。
解放されたあとのヴェリコ・タルノヴォはブルガリア公国の首都となりましたが、1879年この地で開催された初の国会での憲法発布により、首都はソフィアに移転という議決がなされ今日に至っています。
なおタルノヴォから現在のヴェリコ・タルノヴォという名前に改称したのは1965年とのことです
    
ツァレヴェッツ(ツァレヴェツとも呼ばれています。)の丘
駐車場でバスを降りて数分歩くと目の前が開け長大な城壁と頂上に教会のある丘が見えてきました。ツァレヴェッツ城址です。ここははかつてのブルガリア皇族や総主教の住まいがあったところです。お城大好きの私にとっては中に入って写真を撮りたい気分ですが、今回は外観だけの観光、チョット残念です。
 
    

城塞の正面入口です。奥の教会は大主教区教会です。
 
        
        

城門の両側には今でも長い城壁が残されています。

ヤントラ川と旧市街、右上には要塞の城壁が
 
   
ツァレヴェッツ城址に心を残しながら旧市街の観光です。細い階段を上っていった先はサモヴォドスカタ・チャルシャ。チャルシャとは「市場」の意味だそうで、石畳の道の両側に陶器、織物、木彫り、金銀細工といった工房兼店舗があり、買い物好きの人には堪えられない横丁となっています。  
   
日除けを兼ねてでしょうか、ブドウ栽培している家をよく見かけます。        
   
この家の二階にはなんと日除けの簾が。  
   
 
 
 
   
チェックインしたホテルのロビーには大関琴奥州の写真が。
そうです。琴奥州(本名はカロヤン・ステファノフ・マハリャノフ)は、ここヴェリコ・タルノヴォの出身なのです
       
 
アセン王のモニュメント
1185年に170年近く続いたビザンツ帝国の支配から独立し、第二次ブルガリア王国を築くとなったのがアセンT世で、それから800年を記念して1985年に造られたものとのこと。
 
   
音と光のショー

夜はツァレヴェッツの丘で行われる「光と音のショー」です。当初午後10時からの開催とのことでしたが、9時15分からに変更。といってもこの時期の日没は午後9時、まだ空は薄明かりが残っています。レンズを広角から300ミリの望遠に換えて三脚を据えての撮影です。
 
   
 
   
 
 
 
    
 
   

         
ブルガリアの母広場(広場の中央にはブルガリアの母像と呼ばれる第1次世界大戦戦死者の慰霊碑があります。)    
    

朝のヴェリコ・タルノヴォ旧市街

 ドナウ川
 
   
7月13日朝7時15分ヴェリコ・タルノヴォのホテルを出発。今日は国境を越えてルーマニアへドナウ川を渡るとルーマニアです。
ブルガリアとルーマニアはシェンゲン協定に加盟していますが、共に未批准のようで国境ではパスポートチェックが実施されています。
 
        
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