世界遺産中尊寺と毛越寺

平成23年「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」としてユネスコの世界文化遺産に登録された中尊寺と毛越寺(もうつうじ)は平安時代の末期にこの地で栄えた奥州藤原氏による遺跡や寺院です。

中尊寺
嘉祥3年(850年)に慈覚大師円仁が関山弘台寿院を創建したのが中尊寺の始まりといわれていますが、史料や発掘調査の結果からは慈覚大師の開山を裏付けられないようで、実質的には12世紀の初めに奥州藤原氏の初代藤原清衡が「多宝寺」を建立したのが、中尊寺の創建となるようです。中尊寺とは山全体の総称で本寺となる中尊寺と山内にある17カ院の支院で構成されています。
中尊寺の中で最も有名なのが「金色堂」ですが、この金色堂は藤原清衡の廟堂として建立されたもので堂内の棟木銘から天治元年(1124年)に上棟されたことが判明するとのことです。
奥州藤原氏四代は平泉において約100年もの間栄華を極めましたが藤原氏の滅亡後建武4年(1337年)に大きな火災があり殆どの堂宇を焼失、現在当時のまま残されているのは金色堂、毛越寺の浄土庭園などわずかにとどまるようです。
観光は通常月見坂を上って行うようですが、年寄りの多いツアー客の足を慮ってか金色堂近くの坂(距離はあまりありません。)からスタートしました。
  
金色堂
といってもこの建物の正式名称は「金色堂覆堂」といい1970年にコンクリート造りで建てられたもので、金色堂そのものはこの建物の中にあります。右の写真は室町時代に建てられた旧覆堂(別名鞘堂)で重要文化財に指定されています。
天治元年(1124年)に完成した国宝の金色堂は金銀をふんだんに使った華麗な装飾が施されていますが、堂内で更に強固なガラスケースに収められており、当然撮影禁止です。
 
 
    経蔵
重要文化財に指定されているこの経蔵は、藤原清衡により奉納された「紺紙金銀字交書一切経(こんしきんぎんじまぜがきいっさいきょう)」(国宝)ほかの写経を収蔵する建物ですが、1337年に二階を火災で損壊し一階部分を修復しているとのことです。
 
松尾芭蕉像
弟子曾良を同行しての奥の細道行で中尊寺を訪れた芭蕉は『五月雨の降残してや光堂』という句を詠んだとのことですが、この像は平成元年に奥の細道行から300年を記念して造られたものとか。
 
釈迦堂
釈迦如来百体を安置していたお堂ですが建武4年(1337年)の火災で焼失し、享保4年(1719年)に再建されたものです。
 
白山神社と白山神社能楽殿
白山神社は中尊寺の鎮守で釈迦堂のそばにある赤い鳥居を潜った奥にあります。
嘉永2(1849年)年の火災でいずれも焼失しましたが嘉永6年(1853年)に仙台藩により再建されており、特に能楽殿は近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとされ、日本の芸能史上貴重な遺構として重要文化財に指定されています。
 

能楽殿(右)と白山神社(左奥)

能楽殿
 
白山神社十二支一代守護神社
白山神社の拝殿横にあり、十二支の干支ごとの小さな守護神社で自分の干支の神社をお参りできるようになっています。
普通干支の守護神社は干支ごとに別れているので家族の干支が違うとお参りするのにいくつも神社を回らないといけませんが、ここですと家族全員が一度にお参りのできるから便利ですね。
 

弁財天堂宝永二年(1707年)伊達家の寄進による)

阿弥陀堂
 
鐘楼
建設当時は2階造りであった鐘楼ですが火災で焼失した後に再建されたものです。梵鐘は康永2年(1343年)の鋳造に鋳造されたもので鐘身には建武4年(1337年)に火災で堂宇が焼失したことが彫られています。
 

大日堂

峯薬師堂
本堂
中尊寺の中心となる建物で建武4年の火災による焼失したままとなり、明治42年(1909年)にようやく再建されたとのことです。
   

観音堂

薬師堂
 
   
弁慶堂
藤原氏が建立したときは愛宕宮と称していたようですが火災で焼失、文政9年(1826)に再建されたもので内部に義経と弁慶の像が置かれています。
 
   
 
東物見台
弁慶堂と月見坂の参道を挟んで反対にあるこの東物見台は見晴らしのよいところです。正面奥には北上川が見え、東北本線の下を衣川が流れています。この右手奥の川の合流地点が文治五年(1189年)衣川の戦いで武蔵坊弁慶が立ち往生したといわれる衣川合戦場があります。
 
   
毛越寺
嘉祥3年(850年)に慈覚大師が創建した毛越寺はその後大火により焼失したものの、奥州藤原氏2代の基衡、3代秀衡により壮大な伽藍が建立され堂塔40僧坊500を数え中尊寺をしのぐ規模を誇っていましたが鎌倉時代に火災、戦国時代には兵火にあい堂宇の基礎、礎石等が残るまま放置されていたとのことです。現在ある本堂は平成元年の再建ですが境内には大泉ヶ池を中心とする浄土庭園が往時の姿をしのばせています。
同寺は域内全てが国の特別名勝と特別史跡に指定されています。
 
 
境内入口
拝観料は大人500円です。
 
本堂
毛越寺の根本道場となる建物で平安様式で建てられています。
 
築山
大泉ヶ池の南西にあり池に突き出た大小の岩で岩山(といってもわずか3、4m位)を造り松を配して断崖の景観を思わせています。
 
開山堂
毛越寺を創建した慈覚大師を祀るお堂で、内部には大師像、大日如来像が安置されています。
 
金堂円隆寺跡
藤原基衡が建立した勅願寺があったところで、ここは毛越寺の中心伽藍であったとのことです。
 
鑓水(やりみず)
大泉ヶ池に水を引き込むために造られたもので、曲がりくねった水路に石組みを配しており平安時代の遺構がそのまま残されています。
ここでは毎年春に「曲水(ごくすい)の宴」が開かれ平安時代の雅な情景が見られるとのことです。
       
常行堂
享保17年(1732年)に仙台藩主伊達吉村によって再建されたものです。
 
   
 
大泉ヶ池  
    
    
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