ロンドン塔 |
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ロンドン塔は、正式には「女王陛下の宮殿にして要塞」という名前だそうですが、現在も儀礼的な武器などの保管場所として利用されており、「ホワイト・タワー」とも呼ばれています。 塔は1066年にイングランドを征服したウィリアム1世によって外敵からロンドンを守るために要塞の建設を命じ20年で完成、その後リチャード1世により周囲の濠の構築を行い、ヘンリー3世の時代に完成しました。 要塞ではあるものの国王の住む宮殿として1625年まで使用されており、19世紀にかけては造幣所、天文台、動物園として用いられたこともあります。 また、13世紀末からは政治犯の監獄としても使用され第二次世界大戦時にはドイツのルドルフ・ヘスも捕虜としてここに幽閉されていたようです。 このロンドン塔は1988年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。 右はグーグルアースからの写真です。 |
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ライオン・タワー跡 13世紀後半に造られた外塁跡で現在は遺跡となっていますが、名前の由来は中世の時代ここに動物園が造られライオンが飼われていたことによっています。 |
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ミドル・タワーからバイワード・タワーに向かう土橋の上から見る西濠 城壁の上中央に見えるのはえどわーど1せいによって1281年に造られたビーチャム・タワー、左へ1272年にヘンリー3世によって造られたデヴェルー・タワー、そして左角にあるのが北西端の守りのために造られた1272年にヘンリー3世によって造られたデブロー・タワーです。 |
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バイワード・タワー 土橋の先にあるのがこのバイワード・タワー。13世紀に造られた円筒型二本の塔で造られています。門には今はありませんが落とし格子が設けられていました。 |
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ウォーター・レーン バイワード・タワーを抜けると両側を城壁に囲まれたウォーター・レーンと呼ばれる道が続きます。右側の塔はセント・トーマス・タワー、正面の門の右側にはヘンリー三世のウォーター・ゲート(現在は外への出口)があり、左側の塔は「ウェイクフィールド・タワー」で、その手前は「ブラディ・タワー」で門をくぐって城内に入れます。 |
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手前の崩れた城壁は内屋郭の城壁で第2次世界大戦時の爆撃によって後世に建てられた建屋が崩れ落ちたことによってよみがえったもので、その奥右側はブラディ・タワー、左側はウェイク・フィールド・タワーです。 ブラディ・タワー(血の塔)では1483年に12歳で父エドワード4世のあとを継いで王位を継承しロンドンに向かう途中に叔父のグロスター公リチャード(後のリチャード3世)により逮捕されこの塔に弟ともに幽閉されており、現在に至るまでその行方が不明となっています。 1694年に城内で回収にあたった作業員が子供の遺体を発見しており、これが当時の二人ではないかと推測されたようですが、1933年に専門家が鑑定を行ったようですが年齢、性別等の確定には至らなかったといわれています。 |
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ホワイト・タワー ブラディ・タワーを抜けて右手にはホワイト・タワーがあります。現在タワーの周りでは発掘が行われているようです。ちょうど要塞の中央部分のところにあり、1100年にできた石造りの塔で後に漆喰で白く塗られたことからこう呼ばれるようになりました。タワーの役目は要塞、王の儀式の場所そして武器の保管となっていました。 |
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タワー・グリーンとクイーンズ・ハウス ブラディ・タワーを抜けて左手にあるのがこのタワー・グリーン(建物の右部分)とクイーンズ・ハウス(建物の左部分)です。建物能は修復中で覆いが掛けられています。建物の手前は庭園になっていて閲兵場となっていました。 この庭園ではヘンリー8世の2番目の王妃であったアン・ブーリンが結婚から2年後に国王暗殺の容疑、および不義密通の罪で、同じく5番目の王妃キャサリン・ハワードも姦通を疑われて事実があいまいのままに処刑されるなどしています。 |
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ウォーター・ルー兵舎 19世紀中期に兵士を収容するため建てられたもので、1000人の兵士を収容していました。 現在はこの中に王冠・しゃく・宝石など(「クラウン・ジュエル」)を保存し展示しているジュールズ・ハウスがあります。ただし、撮影禁止です。 |
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ヘンリー3世のウォーター・ゲート 城壁から撮影したもので、ウォーター・ゲートの奥左がセント・トーマス・タワー、右がウェイクフィールド・タワーになります。 ゲートを出るとすぐにテムズ川です。 |
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マーティン・タワー 上部に日時計のあるこの塔は、ヘンリー3世によって13世紀の半ばに建てられ牢獄として使用されていましたが、1669年から1841年までは現在ウォーター・ルー兵舎に収められている「クラウン・ジュエル」が保存されていたこともあり、当時は「ジュエル・タワー」と呼んでいました。 |
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