トマールのキリスト教修道院 トマールの修道院(Convento de Cristo em Tomar)は、アフンソ1世によって、レコンキスタでの功績により土地を与えられた、テンプル騎士団によって、1160年に建設が開始された城塞(トマール城)に設けられたもので、城塞そのものはムーア人に対抗するための防御吉としての役割をはたしていました。 14世紀に入ってローマ教皇庁より、テンプル騎士団の活動が禁止されると、デニス1世がキリスト教騎士団を結成して入城して本拠地としました。 修道院は、1417年には騎士団長となったエンリケ航海王子が墓の回廊・沐浴の回廊を増築、跡を引き継いだマヌエル1世、ジョアン3世達も増築を行ったことから、ロマネスク、ゴシック、ムデハル、マヌエル、ルネサンスといった様々な建築様式が融合した建築物となっています。 この修道院は、1983年に「トマールのキリスト教修道院」の名で、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。 |
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駐車場でバスを降りて坂道を上ってゆくとトマール城の城壁が見えてきます。 | |||||||||||
更に上ってゆくと城門が見えました。門の上部には狭間が設けてあります。 | |||||||||||
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城門を抜けるとさらに城壁があり、第2の門があります。 | |||||||||||
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チケット売り場を通ってすぐにあるのが「墓の回廊」と名付けられている回廊です。15世紀になってエンリケ航海王子が、騎士団に所属する騎士と修道僧のために、ゴシック様式で建設した墓所で、回廊に設けられた2本の円柱の上部は植物をモチーフとしたものとなっており、下部には16世紀になって設けられたアズレージョがあります。 | |||||||||||
沐浴の回廊 墓の回廊と同じくエンリケ航海王子が増築を行ったもので、かつてはここに貯水池があり、修道士たちがここで沐浴や洗濯をしたことからその名が付けられました。 |
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壁のアズレージョはとてもきれいですが、よく見ると取り付ける位置がずれていたり、さかさまに取り付けられているのがあります。(赤い枠のところ)わざとなのでしょうか、それとも手抜き工事? |
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エンリケ航海王子の宮殿跡 1417年から1460年まで騎士団長を務めたエンリケ航海王子は、ここに宮殿を建て40年間暮らしていました。現在はご覧のような廃墟となっています。 |
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円堂に続く廊下も壁一面のアズレージョです。 |
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円堂 エルサレムのオマール・モスクや聖墳墓教会をモデルとして、エンリケ航海王子によってロマネスク様式で12世紀に造られた円堂は、テンプル騎士団の聖堂となっており、ミサの際には騎士がいつでも戦場に出られるように騎馬のまま参列できるよう天井の高い構造となっています。 中央部は八角形構造となっていて、周りの回廊も含めてゴシック様式とマヌエル様式の彫刻と絵画で飾られています。 |
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ジョアン3世の回廊は、ジョアン3世時代の1557年に建設が開始され、1591年のフェリペ1世の時代に完成した回廊です。 | |||||||||||
長い廊下の両側は修道士たちの部屋となっていました。 |
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サンタ・バルバラの回廊にあるマヌエル様式の大窓 サンタ・バルバラの回廊は16世紀に造られたもので、テラスの上部にあるこの大窓には、マストやロープそして鎖と、大航海時代の船に使われたものをモチーフとしています。 |
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当時食堂として使われていたところでは、中世時代の服装をした若い女性が二人、こちらのスタッフのようです。 | |||||||||||
ミシャの回廊 この回廊の完成は1563年で、回廊の名は、当時、回廊の西側にある部屋にはパンを焼く竈があって、ここで焼かれたパンなどが、近隣に住む貧しい人々に配られていたことから、その名がついたとのことです。 |
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テラス |
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みう少し見たいけど、約1時間半で修道院の観光を終了。昼食後モンサントに出発です。 | |||||||||||
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