東京国際フォーラム(2020.01.13撮影)

有楽町駅の西口を出てすぐのところにある東京国際フォーラム。明治時代に入って江戸が東京府となった時に府庁舎が置かれていたところで、1990年(平成2年)に都庁が西新宿に移転した跡に建てられた公的総合文化施設で、東京の代表的国際コンベンションセンターの一つにもなっています。
建物は、日本で初めて行われた国際公開コンペによって設計者が決まり、山手線沿いにあるガラス棟と東側に建てられたホール棟の2棟で構成されています。また、ここでは7月24日から開催される第32回東京2020オリンピック・パラリンパック競技大会でウェイトリフティングが、パラリンピックでパワーリフティングの競技が行われることとなっています。
 
 
   
  建物北側にある「東京府廰(庁)舎跡」の石碑  
     
 
 
有楽町駅側から見るガラス棟   馬場先通り側から見るガラス棟
 
     
 
ガラス棟(中央)とホール棟(右端)
 
      
   
  有楽町駅東口側にある東京交通会館3階にある木のテラスから撮影したガラス棟  
     
 
 
 
  ガラス棟の内部に入ると地下1階の大きなスペースはロビーギャラリーとなっていて、各種展示やイベントに用いられます。上を見上げると地上7階までが舟形の吹き抜け状態となっています。天井までの高さは60mあります。(上左の写真は有楽町駅側から撮影、右の写真は東京駅側から撮影)
 
 
   
     
   
     
 


エスカレータを上がった東京駅寄り側のスペースに、江戸城天守閣の模型と太田道灌の銅像が展示されていました。
江戸城は、戦国時代に江戸氏によって居館が設けられたのが最初で、江戸氏が没落したのちの康正3年(1457年)に、太田道灌によって江戸城が築城されました。
江戸城の天守閣は、徳川家康が天下を取り入府後の慶長12年(1607年)に最初の天守閣が設けられ、二代将軍秀忠の時代の元和9年(1622年)に本丸改築と合わせて修復が行われ、さらに三代将軍家道の時代の寛永15年(1638年)に5重6層天守閣が完成しましたが、明暦3年(1657年)に発生した明暦の大火(「振袖火事」とも呼ばれています。)により天守を含めた城構の多くが焼失し、幕府の財政も疲弊していたこともあり、その後天守の再建は行われず現在に至っています。

天守閣の模型は、「江戸城天守を再建する会」によって、寛永度天守の模型として作られたものです。
太田道灌の像は、都内ではここの他に、日暮里駅前と新宿中央公園に、埼玉県では川越市市役所と岩槻市役所前に、神奈川県の伊勢原市役所前に設けられています。
  
 
   
   
  エレベータを使った最上階の7階まで上がって内部の写真を撮ることができますが、高所恐怖症の方は遠慮したほうがいいかもしれませんね。  
   
     
  訪れたこの日は、令和で初めての正月とあってロビーギャラリーにおいて、日本古来のスポーツを紹介する「平安宮廷スポーツプログラム」と題して貴族の間で行われた「蹴鞠(けまり)」、馬に乗って弓で的を射る「騎射(うまゆみ)」、現代のポロ競技に通じる「打毬(だきゅう)」、そして相撲のルーツである宮廷行事の「相撲節会(すまいのせちえ)」が、その競技の情景を忠実に再現した1/4スケールのジオラマや等身大の衣装、競技用の道具などの展示を通じて紹介されていました。
 
   
  蹴鞠
貴族の間で親しまれていた遊びで、数人で輪を造り鹿の革を用いて作られた毬を足の甲で蹴り上げることを長く続ける遊戯です。現代でいえばサッカーのリフティングを数人て行っているといってもよいのでないでしょうか。
 
   
   
     
 



打毬(だきゅう)
毬を打つ競技で、大陸から伝わったといわれていますが、日本では徒歩で行うもの(右の写真)と馬に乗って行うもの(上の写真)の二種類の競技がありました。現代でいえば、徒歩の競技はホッケー、馬に乗る競技はポロでしょうか。
 
       
 
騎射(うまゆみ)
騎射都は、馬を走らせて弓を射て的に当てる競技で、毎年5月5日の端午の節会に行われていた、アーチェリーと流鏑馬を合体したような競技でした。
 
     
   
     
 



相撲節会(すまいのせちえ)
現在の相撲の前身となる競技で、宮中での最古の記録では、日本書紀によると、垂仁天皇7年(紀元前23年)に怪力との誉れ高い野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)が召されて相撲をとったとあり、結果は、野見が当麻の腋骨と腰を折って殺し、蹶速の所領を下賜されたとなっています。
奈良、平安時代に年中行事として行われていた行事で、7月7日の七夕の歌会に併せて開催されていました。
 
 
     
   
  御大礼の儀式の様子
御大礼は天皇陛下の即位の礼から大嘗祭に至る一連の皇位継承儀礼全般のことを指しています。
中央奥が天皇の玉座で御高座といい、御高座の両側には宝幢(ほうどう)と四神旗(ししんき)が並べられています。
宝幢とは宝珠で造られた旗の一種のことをいい、四神旗とは青龍、白虎、朱雀、玄武が描かれた4本の旗のことをいいます。

 
 
 




袞冕十二章(こんべんじゅうにしょう)と黄櫨染(こうろせん)の御袍(ごほう)
袞冕十二章(右の写真)は平安時代から江戸時代まで用いられていた天皇の礼服で、大陸から導入されたとのことで、明治時代に入ってからは下の写真の黄櫨染の御袍に代わりました。
 
 
      
   
   
  十二単
天皇陛下の即位の礼の際に、皇后陛下の玉座(ぎょくざ)である御帳台(みちょうだい)に昇られる時の御盛装です。
 
     
     
     
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