スロバキア

1918年第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が敗戦国となった際にチェコと合併する形で独立し、以後幾多の変遷があったチェコスロバキアは1993年1月に連邦制を解消、チェコ、スロバキアがそれぞれ独立国家となりました。当時ユーゴスラビアで連邦解体の紛争が長引く中で、紛争もなく民主的に国が分かれるということでメディアが「ビロード離婚」と名づけるほど静かな分離独立でした。
この独立の影には政治的には国名表記について、ハイフォン戦争〔国名を「チェコスロバキア」とするか「チェコ=スロバキア」とするか連邦議会及び国民の間で論争が行われていたとのこと。〕があり、これが分離独立のきっかけとなったようです。
分離独立したスロバキアは、面積が日本の7分の1弱、人口は兵庫県と同じくらいの550万人弱という小さな国です。
今回の観光は首都であるブラチスラヴァのみの観光となりましたが、小さいながらも2つの世界自然遺産と5つの世界文化遺産があるところですので、機会があればそちらも訪ねてみたいものです。

ブラチスラヴァ
スロバキアの首都であるブラチスラヴァはドナウ川に面した街で、首都であるのにかかわらずオーストリア及びハンガリーの国境に近いという珍しい位置にあります。観光する場所はブラチスラヴァ城と旧市街です。
 
ブラチスラヴァ城
ドナウ川を見下ろす丘の上に建つこの城は、ケルト人やローマ帝国の砦であったところに9世紀にモラヴィア帝国が宮殿を置き、以後15世紀にハンガリー王のシギスムンドによりゴシック様式に改築され、16世紀には4隅に塔のある現在の姿形となったとのことです。
ブラチスラヴァは16世紀から18世紀の後半にかけてにハンガリー王国の首都ともなったこともあり、18世紀には女帝マリア・テレジアの居城となっていました。
城はこの独特の形状をしていることから「ひっくり返ったテーブル」の城ともいわれています。なお、城の内部は歴史博物館等として使用されているため内部の見学はできず外観観光だけでした。
 

ドナウ河岸より見上げるブラチスラヴァ城
 
        
ブラチスラヴァ城への入口となる城門
この門を入って坂道を登ると左手にお城が見えてきます。 
 
   
  城門の右手にはスロバキアの国会議事堂があります。 チェコと分離独立後に建てられたものですので斬新なスタイルで建てられています。  
        
 
       
   
       
  
古い城の礎石  
 
城壁から見るブラチスラヴァの街並み(右写真の川はドナウ川です。)  
 
旧市街
旧市街は城壁に囲まれた街でしたが、城壁や4ヶ所あった門は殆ど残っておらず、わずかにミハエル門と聖マルティン教会の辺りにその面影を残すくらいとなっています。
 
 
旧市街から見上げるブラチスラヴァ城
トラムの架線がチョット邪魔していますけど・・・
  
ミハエル門(下左)とミハルスカ通り(下右)
旧市街への入口となるミハエル門とミハルスカ通りは昼間は観光客でごった返していますが、朝ですと下右の写真のようにひっそりしています。
 
 
 
ミハルスカ通りにある碑
下左の家の壁には6歳のモーツァルトがこの家の前で演奏したとかで、壁にはその碑(写真右端)がかけられてあり、下右にはリストが9歳のときに演奏したとの碑がかけられています。
 
   
ブラチスラヴァ城の城壁
聖マルティン教会の裏側に残されており、奥には砦のようなものが見えます。
この城壁は、築城当時は道を隔てた反対側にある聖マルティン教会まで延びていたとのことです。
 
聖マルティン教会
14世紀の初めにロマネスク様式で建設が始まり、完成までに200年を要したといわれる教会ですが、その後内外部共にに手が加えられ、現在の姿は18世紀の後期様式となっています。
この教会はブラチスラヴァがハンガリーの首都でもあったことから、16世紀半ばから19世紀半ばまで約300年間にわたってハンガリー王国の戴冠式が行われており、18世紀には女帝マリア・テレジアの戴冠式も執り行われたとのことです。
 
フラヴネー広場
旧市街にある広場ですが、そんなに大きい広場ではありません。正面には時計塔のある旧市庁舎、その左には日本大使館が入っている建物などがあります。訪れたときは旧市庁舎前でなにやら抗議のデモ隊が集まっていました。
 
 
 
フラヴネー広場  
   

旧市庁舎

旧市庁舎の回廊
 
   
日本大使館が入っている建物(左)
建物の前になにやら小さな小屋がありその中に衛兵の銅像があります。
調べてみると18世紀ころに街のガードを行うため木造の衛兵をおいていたがその建物が焼失したことがあり、それを記念することで銅像を残しているようです。
大使館を守っているのではなさそう?当然ですよね。
 
   
街の中の銅像
ここブラチスラヴァにもユニークな銅像があります。数はポーランドのヴロツワフには及ばないようですが、私が見つけたのは下の3つです。
 
 
望遠レンズを取り付けたカメラを持って被写体を狙うカメラマン。この銅像の名前は「パパラッチ」とか。
ちなみに銅像がある角のレストランの看板は「パパラッチ」でした。
 
   
マンホールから半身乗り出している工事人、「マンホールおじさん?」横にある道路標識を見上げたら道路標識も同じ、下に注意とのことですかね。  
 
 
ベンチに寄りかかるナポレオンの像
1809年ナポレオン率いるフランス軍がブラチスラヴァを攻撃。これにより近くにあるディーン所は廃墟になったとのこと。市役所の塔にはフランス軍が打ち込んだ大砲の弾のあとも残っているようではけど。
ところでこの像の後ろには何故かフランス大使館があるんですけど、大使館の人は何も言わないんですかね。ジョークとして捉えているのかも・・・・・
 
        

大司教宮殿(現在は市庁舎の一部)

国立劇場
 
   
路地裏で見かけた新郎新婦
結婚式を挙げたばかりの新婚さん、写真をとってもいいかと尋ねたらOKとのことで失礼してパチリ!
 
   
ドナウ川とノヴィ橋(下右の橋)
ドナウ川にかかる橋で、高さ85mの所にユニークな形の展望台があります。当然エレベータで上に昇るのでしょうが、斜めに昇るエレベータってあるんでしょうか?
 
 
 
 
 
 
   
   中欧浪漫3ヶ国の旅に戻る    チェコを見る   トップ頁に戻る