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雷門 浅草寺の表参道の入口となる門で、切妻造の八脚門で建てられており、向かって右の間に風神像、左の間に雷神像を安置することから、正式には「風雷神門」といいますが、「雷門」の通称で知られています。 門は、慶応元(1865)年に火災で焼失した後は仮設の門が建てられたままでしたが、昭和35(1960)年に、松下電器(現 パナソニック)の創業者である松下幸之助氏が、浅草寺に祈願して病気平癒した報恩のため寄進して、鉄筋コンクリート造りで再建されました。 門に下げられ浅草のシンボルとなっている大提灯は、正面側に「雷門」、宝蔵門側には「風雷神門」と書かれており、高さ3.9m、直径3.3m、重さ約700㎏あって、いつ来ても写真を撮る観光客で賑わっています。 |
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ニ天門 元和4(1618)年に、境内にあった東照宮(寛永19(1642)年に焼失して再建されていません。)の随神門として建てられたこの門は、本堂の東側にあり、関東大震災、東京大空襲の際に焼失を免れた貴重な建造物で、重要文化財に指定されています。 |
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弁天堂 境内にある弁天山と呼ばれる小高い丘の上に建つこの弁天堂は、昭和58(1983)年に建てられたもので、江ノ島(神奈川県藤沢市)の弁天堂、布施(千葉県柏市)の弁天堂とともに関東の三弁天のひとつに数えられています。 |
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鐘楼 弁天堂の隣にあって、貞享4(1687)年に松尾芭蕉が、貞享4(1687)年に詠んだ「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と詠んだ句で知られる浅草寺の鐘は、その後、五代将軍徳川綱吉の命により、元禄5(1692)年に下総国関宿藩主牧野成貞が、金200両を寄進して改鋳され、江戸時代に9ヶ所(上野寛永寺、日本橋石町など)にあった「時の鐘」のひとつです。 鐘楼そのものは東京大空襲で焼失しましたが、鐘は被害にあわず、現在も毎日朝6時に役僧により搗き鳴らされています。 |
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影向堂(ようごうどう) 本堂の西側にあるこのお堂は、もとはニ天門の脇にありましたが、平成6(1994)年に鉄筋コンクリート造りでこの場所に再建されたもので、本尊聖観音像ほか8体の仏像が安置されています。 |
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薬師堂 慶安2(1649)年に徳川家光により建立されたもので、「橋本薬師堂」と呼ばれ、浅草寺境内に現存する古い堂宇のひとつです。建立された当時は「北薬師」といわれていましたが、そばに小さな橋があったことから改名したようです。 |
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淡島堂 江戸時代の元禄年間(1688~1704)に紀州(和歌山市加太)の淡島明神を勧請して建立されたことからこの名がついたもので、現在のお堂は、戦後に仮本堂として用いられていました。 昭和30(1955)年に本堂の再建が始まると、影向堂としてニ天門の脇に移築され、平成6年(1994)に境内の整備が行われるに伴い現在の地に曳屋作業で移築されたものです。 |
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大書院 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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天祐庵 名古屋の茶人であった牧野作兵衛が、京都表千家の「不審庵」を模して天明年間(1781~89)に造ったもので、現在の建物は昭和33(1958)年に復元されたものです。 |
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六角堂 浅草寺境内で最古の遺構で元和4(1618)年の建立と伝えられており、都内では珍しい六角形の構造で建てられていて、東京都の有形文化財に指定されています。 六角堂の本尊は日限地蔵といい、日数を決めて願いをかけるとそれが叶うといわれています。 |
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三峯神社 埼玉県秩父市にある秩父三峯神社の末社で、浅草寺境内に勧請された由来等は不明ですが、江戸時代に秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし「お犬さま」として崇めるようになったものが、狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、「三峯講」が関東・東北地方に多く組織されたとのことですので、火災の多かった江戸においてもその講が組まれて、この地に勧請したのではといわれています。 |
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金龍権現(左)と九頭龍権現(右) 浅草寺縁起によると、本尊の観音様のご示現の際に、長さ百尺にも及ぶ金龍が舞い降りて、観音様をお守りしたとされていることから、浅草寺の山号を「金龍山」としたとのことで、これにより奉安されたのが左側の金龍権現であるとされています。 右側の九頭龍権現は、長野県戸隠の地主神で、昭和33(1958)年の本堂再建にあたって勧請されたもので、浅草寺の伽藍安寿の守護神となっています。 |
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銭塚弁才天 弁才天は七福神の一人で、学問や芸能の上達、財宝や福徳の神として信仰されています。 |
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ニ尊仏 一般的には「濡れ仏」といわれており、左側が勢至菩薩、右側が観音菩薩で、貞享4(1687)年に群馬県館林出身の高瀬善兵衛が願主となって建立したもので、江戸時代初期を代表する仏像です。 |
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石橋 現存する都内で最古の石橋といわれ、元和4(1618)年に浅草寺境内に東照宮が造営された際に、参詣のための神橋として、徳川家康の三女振姫の婿である和歌山藩主浅野長晟の寄進により造られたもので、重要美術品に指定されてます。 |
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鳩ポッポの歌碑 本堂前の広場に設置されたこの歌碑は、東くめ作詞、滝廉太郎作曲による童謡「鳩ポッポ」の歌碑で、東くめが明治33年に、境内で鳩と遊んでいる子供たちを題材に作詞したもので、昭和37(1962)年に造られたものです。 |
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浅草神社 浅草寺本堂の右隣にあり、「三社権現」、「三社様」と呼ばれており、毎年5月には三社祭、正式には浅草神社例大祭が開催されることで有名です。 正面は拝殿でこの奥に、幣殿がありますが、この社殿は慶安2(1649)年に三代将軍徳川光圀公の寄進により造営されたもので、度重なる江戸の大火、地震、空襲などの被害を免れ、国の重要文化財に指定されています。 |
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暫像 境内駐車場奥にあるこの像は、明治時代の歌舞伎役者で、「劇聖」と称賛された九代目市川團十郎が十八番である『暫』を演じている銅像で、十二代目市川團十郎の襲名を機に復元されたものです。 |
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石井漠「山を登る」記念碑 浅草寺境内にある奥山の地域は、江戸時代に芝居・見世物小屋が並んで庶民的芸能が盛んなところでした。 その奥山で、浅草バレエを旗揚げし、近代バレエの創造に尽力した石井漠の活動を記念するために、実妹・栄子と共に踊った「山を登る」の姿を碑に刻んで、作家谷崎純一郎らが昭和38(1963)年に建てたものです。 |
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喜劇人の碑 奥山に建てられたこの石碑は、浅草をはじめとして国内各地で、人々に笑いと喜びを与えてくれた喜劇人たちに感謝の意を表すために、昭和57(1982)年設けられたもので、森繁久彌による題字が刻まれています。 碑の裏面には川田晴久、古河ロッパ、堺駿二、柳家金語楼、伴淳三郎、渥美清、森繁久彌など数十人の喜劇人の名が刻まれています。 |
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