サン・マロ(Saint-Malo)

フランス北西部のブルターニュ地方にあって、イギリス海峡に注ぎ込むランス川の河口に位置する城壁に囲まれた街サン・マロは、6世紀の初頭にケルト人系の聖ブレンダンと聖アーロンによって設立された修道士の居住地であり、その地名は弟子であった聖マロ(Saint Malo)に由来しています。
サン・マロは中世の時代には要塞化された島で、16世紀には敵船を襲って積み荷を没収することをフランス王から許可されていたコルセール(corsaires 私掠船)が活躍したところです。サン・マロ人たちは「自分たちは海賊(pirates)ではない、国から許可されて合法的に没収するのだ」といっていたようですけど・・・・
このコルセールの活躍もあって、17世紀の末にはフランス随一の港町として栄えた街でした。
街は第二次世界大戦でドイツ軍によって占領され、これを取り戻すために連合軍の爆撃を受けて8割近くも破壊されましたが、戦後崩れ落ちた歴史的建造物を市民によって忠実に復元されています。
 
      
 
 



殉難消防士の記念碑

ルイ・マルタン通りを歩いて、旧市街に行く途中にある消防署の壁際には、消火活動中に殉難した消防士の慰霊碑がありました。
下半分が植木に隠れていますが、モニュメントとして、船の碇が用いられているみたいです。
 
   
   
 
      



旧市街が近づくと内海となっているところに三本マストの船が停泊しています。エトワール・デュ・ロワ号(Etoile du Roy)という船です。
この船は、18世紀のイギリスのフリゲート艦を模して、1996年に映画の制作のためトルコで造船されたもので、現在は観光用のクルーズ船として利用されています。
船の船首にある守り神の像は普通女神像が取り付けられていますが、この船の像は何と隻眼の女性像となっています。
 
   
 
 



シャトーブリアンの像(Statue de Chateaubriand)

正式な名前は、フランソワ・ルネ・ド・シャトーブリアン(François-René de Chateaubriand)といい、私掠船(国の許可を得ている一種の海賊)の船長の子として1768年にサン・マロで生まれ、作家、政治家として活躍した人で、代表作には『アタラ』『ルネ』などがある、フランス・ロマン主義の先駆者のひとりです。
     
 
   
   
  防潮杭

イギリス海峡に面した街サン・マロにはヨーロッパでも最大級の大潮が発生するとのことで、防波堤を乗り越えてくる大波から街を守るため、防波堤の前に3000本を超える杭が設けられています。
この杭があっても大波は防波堤を乗り越え遊歩道は危険な状態となります。
(右の写真はウィキペディアから借用)

 
 
 
 
 
   
   
  アンヌ公爵夫人の城(Château De La Duchesse Anne)
アンヌ女公の城とも呼ばれ、15世紀に建てられた星形要塞の形状の城には4ヶ所に塔があり、それぞれ大主塔、ジェネラル塔、ムーランの塔、クイック・アン・グロワーニュ塔と名付けられてます。
 
 
   
  サン・ヴァンサン門(Porte Saint-Vincent)
サン・マロ城への入口となる城門の一つで、城の周囲2kmにわたって設けられた城壁の上を歩いて回ることができます。
下の写真は、城内のサン・ヴァンサン通り側から撮影
 
 
  
 
   
  城壁に上がるのはクロアチアのドゥブロヴニクのように有料ではありません。
城壁の上に上がってみると結構広いです。いろいろなお城で城壁に上がりましたが、これだけ広いのも珍しいですね。
 
 
 
 
 
     
   
  ベルトラン‐フランソワ・マヘ(Bertrand François Mahé)の像
城の外の東南角にあるロータリーにある像で、18世紀半ばに東インド会社のフランス提督となっていた人です。

 
 
   
  入り江にあるマリーナには多くの船が停泊しています。  
 
 
城壁の角には稜堡が設けられています。稜堡は敵からの攻撃に対する死角がなくなるよう造られた防御施設で、星形要塞ではよく設けられています。
左の稜堡は東南角にあるサン・ルイ稜堡(Bastion Saint Louis)、右側の稜堡は南西角にある聖フィリップ稜堡(Bastion St. Philip)です。
 
     
 




ルネ・デュグエ=トゥルアン(Rene Duguay-Trouin)の像

城の東南角にあるセント・ルイス砦の上に置かれている像で、デュゲ・トルーアンは1673年にサン・マロで生まれた私掠船の船長です。
私掠船とは一種の海賊ですが、この時代、自国の権利を確保するため、国の認可を受けて外敵を攻撃することが許されていたようで、300隻以上の商船を襲ってフランスの国益に貢献、提督にまで昇進して18世紀初頭には国民的英雄ともいわれていました。
     

 
 



城壁の上を歩いていて面白いものを発見。

家の中には鶏の置物がありますが、窓の外にはカモメがいます。
カモメは置物ではなく本物です。見つめあう形ではないですけど、ちょっと変わった写真になりました。
海に突き出た防波堤の長さは500m以上あり、先端に灯台があります。防波堤の左側にある船は干潮の時間帯のため陸に上がった格好になっています。
 
 
 
 



ジャック・カルティエの銅像(Statue de Jacques Cartier)

城壁を歩いているとオランダ要塞と名付けられた所に出ました。この場所は、17世紀の後半に発生した仏蘭戦争の時代に設けられたので、この名がついたようです。
ジャック・カルティエは、サン・マロ生まれの探検家で、ヨーロッパ人で初めて北アメリカ大陸の内陸部を探検し、プリンス・エドワード島やセントローレンスに達した後にスタダコナ(現在のケベック)に上陸しており、その後のフランスのカナダ領有の基礎を築いた人
です。
      
 
海に向かって何門も大砲が据え付けられています。よく見ると製造された年が刻まれており、1785年とあるのがわかります。
 
 
   
  Bon Secours beachとGoogleマップでは表示されますが、海岸の一部を囲ってプール状態にしています。プールの奥左にはプチ・ベ島(Petit-Bé)、その右にはグラン・ベ島(Grand-Bé)が見え、さらにその奥にはセザンブル島(Cézembre)が見えます。
ちょうど干潮の時間なので陸繋ぎ島となり、グラン・ベ島更にはプチ・ベ島まで歩いて行くことができます。
 
 
   
  土曜日の夕方の午後7時近い時間ですが、日の沈むのが遅いヨーロッパですので大勢の人たちが日光浴を楽しんでいます。
 
 
   
  プチ・ベ島(左)とグラン・ベ島(右)
グランベ島にはサン・マロ生まれの作家シャトーブリアンの墓が、彼の希望により設けられています。
 
 
 
ケベック広場からオランダ要塞方向を撮影
 
 
 




ロベール・シュルクーフの記念碑

北西角のケベック広場にある記念碑で、ロベール・シュルクーフ(Robert Surcouf)は、1773年にサン・マロで生まれ、13歳で船に乗りはじめ、18世紀の終わりごろから19世紀の前半にかけて活躍した私掠船の船長です。
 
     
   
  プチ・ベ島のナショナル要塞
要塞はイギリスとオランダから街を守るために、ルイ14世の命によりフランス軍の技術将校であったヴォーバン領主セバスティアン・ル・プレストル(Sébastien Le Prestre, Seigneur de Vauban)が1689年に設けたもので末に設けられたものです。
ヴォーバンは、軍事は技術者として有名であり、近代的な稜堡式の要塞の築城法を体系化しており、また、50以上もの城塞の包囲攻撃を指揮し、「落ちない城はない」といわれた攻城の名手でした。
ヴォーバンが設計した要塞のうちフランス国内に残る12の要塞は「ヴォーバンの防衛施設群」としてユネスコの世界文化遺産に登録されているとのことですので、機会があれば行ってみたいのもです。

注:上の写真は南側から撮影、下の写真は東側から撮影

  
 
 
 
   
  サン・ヴァンサン大聖堂(Cathédrale Saint-Vincent)
11世紀にネオ・ゴシック様式で建てられたこの大聖堂は、第二次世界大戦で破壊され1987年に再建されたものです。

 
 
 
 
 
   
     
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