サン・マロ(Saint-Malo) フランス北西部のブルターニュ地方にあって、イギリス海峡に注ぎ込むランス川の河口に位置する城壁に囲まれた街サン・マロは、6世紀の初頭にケルト人系の聖ブレンダンと聖アーロンによって設立された修道士の居住地であり、その地名は弟子であった聖マロ(Saint Malo)に由来しています。 サン・マロは中世の時代には要塞化された島で、16世紀には敵船を襲って積み荷を没収することをフランス王から許可されていたコルセール(corsaires 私掠船)が活躍したところです。サン・マロ人たちは「自分たちは海賊(pirates)ではない、国から許可されて合法的に没収するのだ」といっていたようですけど・・・・ このコルセールの活躍もあって、17世紀の末にはフランス随一の港町として栄えた街でした。 街は第二次世界大戦でドイツ軍によって占領され、これを取り戻すために連合軍の爆撃を受けて8割近くも破壊されましたが、戦後崩れ落ちた歴史的建造物を市民によって忠実に復元されています。 |
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防潮杭 イギリス海峡に面した街サン・マロにはヨーロッパでも最大級の大潮が発生するとのことで、防波堤を乗り越えてくる大波から街を守るため、防波堤の前に3000本を超える杭が設けられています。 この杭があっても大波は防波堤を乗り越え遊歩道は危険な状態となります。 (右の写真はウィキペディアから借用) |
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アンヌ公爵夫人の城(Château De La Duchesse Anne) アンヌ女公の城とも呼ばれ、15世紀に建てられた星形要塞の形状の城には4ヶ所に塔があり、それぞれ大主塔、ジェネラル塔、ムーランの塔、クイック・アン・グロワーニュ塔と名付けられてます。 |
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サン・ヴァンサン門(Porte Saint-Vincent) サン・マロ城への入口となる城門の一つで、城の周囲2kmにわたって設けられた城壁の上を歩いて回ることができます。 下の写真は、城内のサン・ヴァンサン通り側から撮影 |
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城壁に上がるのはクロアチアのドゥブロヴニクのように有料ではありません。 城壁の上に上がってみると結構広いです。いろいろなお城で城壁に上がりましたが、これだけ広いのも珍しいですね。 |
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ベルトラン‐フランソワ・マヘ(Bertrand François Mahé)の像 城の外の東南角にあるロータリーにある像で、18世紀半ばに東インド会社のフランス提督となっていた人です。 |
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入り江にあるマリーナには多くの船が停泊しています。 | ||||||||||||||||||||||||
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Bon Secours beachとGoogleマップでは表示されますが、海岸の一部を囲ってプール状態にしています。プールの奥左にはプチ・ベ島(Petit-Bé)、その右にはグラン・ベ島(Grand-Bé)が見え、さらにその奥にはセザンブル島(Cézembre)が見えます。 ちょうど干潮の時間なので陸繋ぎ島となり、グラン・ベ島更にはプチ・ベ島まで歩いて行くことができます。 |
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土曜日の夕方の午後7時近い時間ですが、日の沈むのが遅いヨーロッパですので大勢の人たちが日光浴を楽しんでいます。 |
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プチ・ベ島(左)とグラン・ベ島(右) グランベ島にはサン・マロ生まれの作家シャトーブリアンの墓が、彼の希望により設けられています。 |
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ケベック広場からオランダ要塞方向を撮影 |
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プチ・ベ島のナショナル要塞 要塞はイギリスとオランダから街を守るために、ルイ14世の命によりフランス軍の技術将校であったヴォーバン領主セバスティアン・ル・プレストル(Sébastien Le Prestre, Seigneur de Vauban)が1689年に設けたもので末に設けられたものです。 ヴォーバンは、軍事は技術者として有名であり、近代的な稜堡式の要塞の築城法を体系化しており、また、50以上もの城塞の包囲攻撃を指揮し、「落ちない城はない」といわれた攻城の名手でした。 ヴォーバンが設計した要塞のうちフランス国内に残る12の要塞は「ヴォーバンの防衛施設群」としてユネスコの世界文化遺産に登録されているとのことですので、機会があれば行ってみたいのもです。 注:上の写真は南側から撮影、下の写真は東側から撮影 |
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サン・ヴァンサン大聖堂(Cathédrale Saint-Vincent) 11世紀にネオ・ゴシック様式で建てられたこの大聖堂は、第二次世界大戦で破壊され1987年に再建されたものです。 |
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マップ | ||||||||||||||||||||||||
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