ラバト

ラバトはモロッコ王国の首都であり、カサブランカに次ぐ第二の都市です。
ラバトの観光は、日程表では前日到着してすぐにウダイヤ庭園からのサレの街並みの見学となっていましたが、カサブランカからラバトへの到着が夕方のラッシュと重なったため遅くなりずれて行われることとなりました。今日はこの「ウダイヤ庭園」と「ムハンマド5世前国王の霊廟」と「ハッサンの塔」を見学し、メクネスに移動して「ムーレイ・イスマイル廟」の見学、フェズへの移動途中にあるヴォリビリスやムーレイ・イドリスの街並みを見ることとなりました。
  夜のラバト市街
ルワー(『風』という意味だそうです)門
宿泊したホテルから歩いてすぐのところにあり、イスラム王朝のムワッヒド朝時代(1130〜1269年)に建てられた塁壁(城壁)で、殆ど当時の姿を残しています。土曜日の朝7時ごろでしたので車も少なくひっそりとした感じでした。
 
  朝のラバト市街
正面奥に見えるのは「グランドモスク」です。
ウダイヤ庭園とウダイヤのカスバ
「ウダイヤ庭園」は、スペインのアルハンブラ宮殿に似た造りとなっているようですが、今は殆ど住宅が建っているようで一部が残っているだけとなっています。
「ウダイヤのカスバ」は、メディナと呼ばれる旧市街を過ぎたところにあり、ムワッヒド朝時代に築かれた塁壁(城壁)を利用して17世紀に建築された城塞です。
 
カスバの中の街並みとファティマの手
カスバの中にはスペインの南部を思わせるような白と青で塗られた壁の家並みが続き、家のドアには魔よけとされる「ファティマの手」が取り付けられています。
 
  サレの街並み
カスバからはブーレグレグ川の対岸にあるサレの旧市街の街並みが見えます。
  大西洋
ブーレグレグ川の河口にあるこのカスバは大西洋に面しており、写真中央には、マルタで見た「セングレアの見張り台」と同じような見張り台がありました。
ムハンマド5世の霊廟
ムハンマド5世はフランス領であったモロッコを独立させた元国王で、この霊廟には真紅の衣装を身に着けた衛兵が霊廟の入口や四隅に立っています。
 
ハッサンの塔
ムハンマド5世の霊廟と同じ場所にある未完のミナレット(尖塔)で、エジプトやトルコで見たミナレットとはその形がちょっと違います。ムワッヒド朝時代の12世紀の終わりに建設が始まったこのミナレットは、高さ44mあり、完成すると倍の高さになる予定であったとか。右の写真は敷地の周りにある塁壁です。
 
メクネス
 
メクネスの街の始まりは10世紀ごろとのことで、17世紀のアラウィー朝時代にムーレイ・イスマイルが城壁や門、モスク等を建設した頃がその最盛期といわれています。現在もその姿が残されており、1996年にはユネスコの世界文化遺産に「古都メクネス」として登録されています。
  クミス門
旧市街のメディナへの西の入口となる門で、ムーレイ・イスマイル朝時代のもので、他の門と同様にモザイク模様、彫刻が施されています。
  アグダルの貯水池
ダル・エル・マ(水の館)の前にある貯水池で、市民の憩いの場となっているようです。
  ムーレイ・イスマイル廟
ムーレイ・イスマイルの墓が安置されており、イスラム教徒以外でも入場でき、パティオと呼ばれる中庭(下左の写真)や建物に施されたモザイク、漆喰彫刻(下右の写真)を見ることができます。
 
  マンスール門
北アフリカで最も美しいといわれるこの門は、市民の憩いの場であるエディム広場に面したところにあり、ムーレイ・イスマイル最後の建築物で、その死後にキリスト教から改宗したマンスールが設計したことからその名がついたそうです。
  エディム広場
旧市街の中央にあり、正面奥の建物は食料品を中心としたスークとなっています。
  スークのオリーブ売り場
色とりどりのオリーブが芸術的に積み上げられて売られています。このほかにも香辛料、野菜、魚、肉等を売るお店があり、ウサギ、鶏等も生きた状態で籠に入って売っていました。
    
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