大垣城(撮影2011.12.06日)

大垣城は室町時代の天文4年(1535)宮川安定によって牛屋川を外堀として城郭が築かれ、その後歴代の城主である氏家氏、伊藤氏が改築を行い慶長元年年(1596年)に4重4階の天守が造営されています。江戸時代の寛永12年(1635年)に戸田氏鉄が城主となってから明治に入るまで大垣藩戸田氏の居城となっていました。
明治時代の廃城令でも天守の破却を免れ昭和11年(1935年)には国宝に指定されましたが戦災で焼失。現在の天守は昭和34年(1959年)に再建されたものです。

訪れたときは休館日(火曜日)で天守への入場はできませんでした。
 
 

当時の城の状態を示す絵図
   絵図では外濠、内濠等が配置れて外敵への対処が十分な築城構造ですが、あいにくと大垣市の中心部にあるためかほとんど残っておらず民家がお城のそばまで建っています。  
 
 
東門(左は城外から、右は城内から撮影)
 

丑寅櫓
 
水之手門
   

戌亥(いぬい)櫓

戌亥櫓と天守閣(中央後ろ)
 
   
戸田氏鉄(とだうじかね)の騎馬像と天守閣
戸田氏鉄は徳川家康の近習から近江膳所藩、摂津尼崎藩の藩主を歴任後に美濃大垣藩の初代藩主となり、島原の乱での戦功や藩政でも新田開発や治水工事などに大きな成功を収め、大垣藩の藩政を安定に導いた武将とのことです。
(銅像は大垣公園にあります。)
 
   
 
   
   
 
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