世界遺産仁和寺と龍安寺(2019.04.16撮影)

仁和寺

紅葉の時期の2017年の11月に一度訪れている世界遺産に登録されている仁和寺、その時は旅友Sさんの案内で来たこともあり、時間の都合もあったため本坊内を見ることも割愛し、時期もずれているので御室桜を見ることができませんでしたが、今回は桜が咲いているのを確認しての訪問です。
 
     
 
仁王門
 
     
   
  仁王門を潜り境内に入ると勅使門のそばに御室桜が咲いていました。満開です。
御室桜は「おむろ桜」または「みむろ桜」とも読み、樹高がせいぜい2~3mとほかの桜に比べると低く、また、満開の時期も染井吉野などに比べると1週間ほど遅いのが特徴です。
古くは江戸時代の頃から庶民に親しまれ、多くの歌が詠まれています。有名な歌人が詠んだ歌もありますが、詠み人しらずの「わたしゃお多福 御室の桜 鼻が低ても 人が好く」の歌にあるように、別名が「おたふく桜」と京都の人たちに愛されています。
 
     
   
  大沢桜
大沢桜はサトザクラの一種で、花の色は紅色、八重咲きで、花弁数は15~18枚です。下の写真はアップしたたものです。
 
   
     
  御室桜を見るのは後にしてまずは前回見なかった本坊の中へ。  
     
   
  本坊表門(重要文化財)  
     
   
  大玄関
入母屋造り、唐破風屋根は檜皮葺となっており、明治23年(1890年)に建てられたもので、重要文化財に指定されています。
 
     
   
  白書院(登録有形文化財)
明治23年(1890年)に御殿が焼失したことから仮宸殿として建てられたもので、宸殿が再建されたことによって「白書院」と呼ばれるようになっています。

下の写真は白書院の襖絵で、松を主題にして福永晴帆が描いたものです。
 
   
     
   
  霊明殿
登録有形文化財に指定されている霊明殿は明治44年(1911年)に建てられたもので、国宝に指定されている木造の薬師如来坐像が安置されており、歴代の門跡の仏壇が設けられています。
 
     
   
  黒書院
明治43年(1910年)に建てられた黒書院は、登録有形文化財となっており、各部屋には堂本印象が描いた襖絵があります
 
     
   
  宸殿から見る庭園  
     
   
  大正3年(1914年)に再建され、登録有形文化財となっている勅使門は唐破風造りの檜皮葺です。  
   
 
 



中門の石段を登り始めると御室桜が見えてきます。どうやら満開のようです。
 
     
   
  中門をくぐった左側に御室桜があります。  
   
 
 
 
     
 
 



観音堂の脇に特設の物見台が造られています。
工事用のパイプを繋ぎ合わせたもので、高さは5mあるかないかくらいのものですが、この上に登ると御室桜が一望できるように工夫しているみたいですが、上に登って写真を撮りましたが、桜のあるころと少し離れているのと高さが低いので少し物足らない感じがしました。
警備の人に聞いたら「今年だけのものですよ」とのこと。
 
      
   
     
 
五重塔をバックに撮影しましたが、あいにくと五重塔は修復中です。
 
     
   
     
 
枝垂れ桜とミツバツツジの競演
 
     
 
重要文化財に登録されている経蔵
 
     
 
国宝に指定されている金堂
 
     
   
  鐘楼
江戸時代前期の寛永21年(1644年)に袴腰付の入母屋造りの様式で再建されたもので重要文化財に登録されています。
 
     
 
 
水かけ不動
不動堂そばにある石碑に刻まれていた由来によると、その昔堀川に架かる一条戻り橋が洪水で流され、その復旧工事の際に発見され、仁和寺に戻りたいとのお告げかあり、この地に安置されたあります。また、不動明王が立つ岩は「菅公の腰掛石」と呼ばれ、大宰府に流布される菅原道真が仁和寺の宇多法皇に挨拶に訪れた際、法皇の勤行が終わるまでこの石に腰かけていたと伝えられています。
 
     
   
  御影堂
江戸時代前期の寛永年間の後期に、旧皇居の清涼殿の用材を用いて建設したもので、宗祖空海を祀っており、重要文化財に登録されています。
 
     
 




きぬかけの路

仁和寺を出て地図を見ると石庭で有名な龍安寺まで歩いて約15分であることがわかり、早速行ってみることに。
この道は金閣寺まで続く「きぬかけの路」と名付けられており、公募で名前が決まったとのことですが、その昔宇多天皇が真夏の衣笠山に白絹をかけてその風景を楽しんだとの故事からついているとのことです。
 
 
     
   
  きぬ絹かけの路を歩くこと約10分、道標に従って道を左に折れさらに歩くと池が見えてきました。鏡容池(きょうよういけ)です。この池は徳大寺家によって築かれたもので、池でオシドリが群れ遊んでいたことから「オシドリ池」とも呼ばれていたそうです。  
     
 




龍安寺

室町時代の武将細川勝元の開基による臨済宗のお寺の龍安寺、正式には大雲山龍安寺といい、宝徳2年(1450年)の創建で、創建時の北條は応仁の乱により焼失、その後再建されるも再度火災により焼失するなどして現在の方丈は塔頭の西源院方丈を移築したもので慶長11年(1606年)の建立となっています。
この龍安寺で有名なのが枯山水の前庭にある石庭です。寺の北条は重要文化財に指定されており、石庭のある方丈庭園は国の特別名勝となっており、古都京都の文化財として世界遺産に登録されています。
ここには高校時代の修学旅行で来たような気がしますが、何しろ今から約60年近く前なりますので定かではありません。
 
 
     
   
     
   
     
   
     
   
  方丈内の芭蕉図の襖
期間限定で特別公開されている絵で、狩野派とも海北派の絵ともいわれており、17世紀の初めに描かれた「芭蕉」を描いた襖絵です。
 
     
   
  狩野派の作と伝えられる「群仙図」は、明治時代の廃仏毀釈により寺から流出し、平成22年(2010年)にこの寺に戻ったものです。  
     
 
 
石楠花  
 
     
   
  庭園内の八重枝垂れ桜はちょうど見頃でした。  
   
     
   
     
     
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