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唐門 二の丸御殿の正門にあたり、唐破風造りの四脚門形式で建てられています。平成23年(2011年)から始まった修復工事の一環で昨年修復が完了したばかりですので、施された彫刻や飾り金具が往時の輝きを取り戻しています。 門には天皇家の菊花紋(十六八重表菊)がありますが、修復の際この門の下に徳川家の家紋である葵紋があったことがわかり、時代の移り変わりの名残と推測されています。 右の写真は二の丸御殿内から撮影 |
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外側から見る唐門、奥には二の丸御殿の車寄が見えます。 |
唐門の彫刻と飾り金具 |
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築地塀の屋根にも金飾りの装飾が施されており、菊花紋が見えます。 | ||||||||
二の丸御殿 国宝に指定されている二の丸御殿は、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院そして白書院とありますが、写真は御殿への入口となる車寄せと遠侍です。 内部の見学はできますが全て撮影禁止となっています。 |
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二の丸庭園から見る二の丸御殿(右から遠侍、式台そして大広間)、廊下は鴬張りと呼ばれる構造となっています。 |
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鴬張りとは人が床の板の上を歩く事によりきしみ音が鳴る様につくられた仕組みをいい、日本古来の建築技法で、外部侵入者の危険探知の為に設けられたとされています。 詳しくはWikipediaの「鴬張り」で。 |
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寛永3年(1626年)に小堀遠州が作庭したといわれる池の中央に蓬莱島、左右に鶴亀の島を配した書院造庭園の二の丸御殿庭園は国の特別名勝に指定されています。 | ||||||||
二の丸庭園から見る桃山門 桃山門は二の丸と本丸の間にある通路の南側にあって、築城時の寛永3~4年に入母屋造りの瓦葺き、長屋門形式で建てられており、重要文化財に指定されています。 この門を抜けて左へ行くと唐門に通じます。 |
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二の丸庭園から本丸に行くには内濠に架かる東橋を通られなければなりません。その先には重要文化財に指定されている本丸櫓門。寛永3年(1626年)に入母屋造り瓦葺きで建てられており、天明8年(1788年)に発生した天明の大火の被害をまぬかれた遺構です。 | ||||||||
桃山門に対して北側にあるのが鳴子門、脇戸袖塀付きの薬医門形式で建てられておりこちらも重要文化財に指定されています。 | ||||||||
清流園の北山杉 ちょっと変わった格好をしていますが、これは「台杉仕立て」という方法で手入れされた北山杉で、床柱用の磨き丸太を効率よく育てるために室町時代から取り入れられたものです。 |
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二つある大手門のうちこちらは北大手門と呼ばれているもので、重要文化財に指定されていて、江戸時代初期の寛永4年(1626年)に建造されたものですが、車の出入りに使われているだけで普段は閉じられています。左の写真は二の丸庭園側から、右の写真は竹屋町通からの撮影です。 | ||||||||
西門 城の西側の美福通に面してあるのがこの西門で、こちらも寛永4年(1626年)に建造されていて重要文化財に指定されています。門は埋門形式となっており、橋は架けられていません。 |
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西南隅櫓 江戸時代前期の寛永4年(1626年)に入母屋造、本瓦葺で建てられた二重二階の櫓で重要文化財に指定されています。 |
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南門 大正4年(1915年)に大正天皇の即位の儀式である大典に備えて新たに造られたもので、本来の城門ではなく橋も取り付けられていません。 |
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東南隅櫓 二重二階櫓、入母屋造、本瓦葺で慶長8年(1603年)に建てられ寛永4年(1627年)ごろに一部手が加えられています。(重要文化財指定) |
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緑の園で咲いていた寒緋桜 |
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