二本松城(撮影2010.05.15)
 
「霞ヶ城」または「白旗城」とも呼ばれているこのお城、福島県二本松市の中心部から2Km位北側にあって、標高345mの白旗が峰に築いた城郭とふもとにある居館からなっており、現在は「霞が城公園」として整備され春は桜の名所として訪れる人が多いようです。
室町時代の初めに奥州探題に任ぜられた畠山氏が居館をきずいたのが始まりで、7代畠山氏の時代(1414〜1443年頃)に最初の城が建てられたと記録にあるようです。江戸時代には蒲生氏、丹羽氏と移り、戊辰戦争においては二本松藩が奥羽越列藩同盟(陸奥、越後、出羽等の諸藩が加盟)に加盟して新政府軍と戦い、少年兵も動員され戦死するという悲劇を生じたようです。
城は廃城令により破却され、現在残っているのは、1982年に復元された箕輪門、1993年に修復された天守台と本丸の石垣だけとなっています。

 
 

千人溜から見る箕輪門
 
  二本松少年隊
戊辰戦争時に大半の兵が出陣した後の城下や城内を守るため13〜17歳の少年60数名が出陣し戦ったとのことです。
 
箕輪門の入口 内側から見た箕輪門
 
箕輪門の赤松
右側の石垣の上から下に向かって伸びているこの赤松、樹齢350年以上の古木とか。市指定の天然記念物となっています。
(上部はちょうど植栽手入れ中でした。)
        
  三の丸跡   
      
   
 霞が池
 
 
   智恵子の藤棚
霞が池のところにあり、高村智恵子の生家にあった藤をここに移植したとのことですがここ数日の寒さで開花が遅れているようでした。
 
        

るり池
 
        
  傘松
樹齢330年を超える赤松で、幹の周り3m以上、東西で14m以上の傘状に広がっているかわった形をしており、市の天然記念物に指定されています。
 
    
レンゲソウ
 
        
 
智恵子抄詩碑
高村光太郎が亡き妻智恵子のために詠んだ智恵子抄の中に収められている詩の冒頭の部分が碑に刻まれています。
  安達太良山
詩碑のあるところ安達太良山が見えるはずでしたが、あいにくの曇り空でした。
 
        
  搦手(からめて)門跡  
        
   
本丸跡(左)と本丸の石垣(右《右側の黒っぽい石は江戸時代の石のようです》)  
        
  大石垣
本丸の南面にあった石垣で、安土時代に活躍した穴太衆という石垣施工の技術者集団が得意にした穴太積み(あのうづみ)と呼ばれる工法で造られているとのこと。 
 
        
日影の井戸
千葉県印西市にある「月影の井」、神奈川県鎌倉市にある「星影の井」と並んで「日本の三井」と呼ばれている井戸で、その由来は、「星影の井縁起」によるものだそうです。
        
  旧奥州街道
市道箕輪門通り線といって、二本松城の前を通る道ですが、旧奥州街道であったことから「日本の道百選」に選ばれているようです。 
 
        
   
        
         
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