南禅寺(2021.12.03撮影) 臨済宗南禅寺派の大本山である南禅寺、正式には瑞龍山太平興国南禅寺と号し、創建は正応4年(1291)とのことで、日本で初めての勅願禅寺とのことで、京都五山及び鎌倉護山の上にある別格扱いの寺院で、国内のすべての禅寺の名でも最も高い格式を持っています。 |
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中門 慶長6年(1601年)に細川家の家老であった松井康之により伏見城内にあった松井邸の門を勅使門として寄進されたもので、現在の勅使門が拝領されたことによりこの地に移設し、幕末までは「脇門」と呼ばれていました。 |
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勅使門 慶長18年(1613年)に御所の「日の御門」として造営されたものを、寛永18年(1641年)に明正(めいしょう)天皇より拝領して移築したもので、天皇や勅使が来山された際に限って開門されていました。(重要文化財指定) 「日の御門」とは、御所の代理を囲む築地塀に東向きに開く門のことで、現在の御所では「建春門」と呼ばれています。 上の写真は駐車場側から、下の写真は境内側から撮影 |
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スミマセン、逆光で少し光が入っています。 |
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三門 重要文化財に指定されているこの山門は、歌舞伎の『楼門五三桐(ろうもんごさんのきり)』で、石川五右衛門が「絶景かな!絶景かな!」という名台詞で知られていますが、三門は五右衛門の死後30年を経過した永仁3年(1295年)に西園寺実兼の寄進により建てられており、、応安年間に建て替えられるも文安4年(1447年)に発生した南禅寺大火で焼失。その後、津藩主の藤堂高虎の寄進により、寛永5年(1628年)に再建されたものです。 |
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法堂 法堂とは公用の法要が行われるところで、応仁の乱を始め幾たびが焼失し、慶長11年(1606年)に豊臣秀頼の寄進により再建されましたが、明治28年(1895年)にはこたつの火の不始末でまたも焼失。現在あるのは明治42年(1909年)に再建されたものです。 天井には明治から大正時代にかけて活躍した画家である、今尾景年による描いた幡龍が描かれています。(下の写真) |
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正面建物は京都駅 |
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中央は西本願寺 |
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正面は東本願寺 |
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中央は東本願寺の渉成園(枳殻邸)、奥の山は比叡山 |
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中央右寄りは京都府庁、奥の左よりは仁和寺の五重塔でしょうか。 |
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手前は京都駅、奥の右寄りに東寺の五重塔が見えます。 |
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上りの新幹線が駅に近づいてきました。 |
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中央の道路は国道24号線、左の黒くなっているところは東本願寺です。 |
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中央縦に通るのは烏丸通です。 |
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