静寂の街イムディーナとマルサシュロク

イムディーナ

マルタ島の中央にある小高い丘の上にある街イムディーナは、16世紀にマルタの首都として栄えた城塞都市です。街は1565年のマルタ包囲戦で聖ヨハネ騎士団が最後まで守り抜いたとのことで堅固な城壁に囲まれています。
街は1693年に発生した地震のため多くの建物が崩壊し、その後再建されています。 
   
街の入口となる市門
現在は石橋となっているこの橋、当時は跳ね橋構造で造られていました。
街への入口となる門の幅は車一台が漸くとおれる位しかありません。地元住民や緊急車両等限られた車しか入れくなっているのでのんびり街中を歩くのによい環境となっています。
右の写真は門の内側でマルタの守護聖人、聖パウロ、聖パプリウスそして聖アガタが彫られており、上部にはイムディーナの紋章が描かれた旗が飾られています。
     
 
        

城壁(芝生となっているところは当時濠となっていました。)

Google earthで見ると星形要塞の構造で造られているのがわかります。
 
   
聖パウロの大聖堂
セント・ポール広場にあるこの大聖堂、4世紀頃にはマルタで最初に建てられた教会がありましたが、イスラム支配下の時代に破壊され、13世紀に再建されましたが17世紀末の地震で倒壊、現在の姿は18世紀に再建されたものです。
   
   

祭壇

クーポラ
 
      
天井のフレスコ画はカラヴァッジォ派の画家マティア・プレッティによるものです。   
   
 
 
街中を散策すると「静寂の街」の名のとおりひっそりとした佇まいです。    
 
      
 
   
   街角では立派な彫像をあちこちで見かけます。   
 
   
出窓が特徴的なラバトの街並み
マルタを旅しているとよく見かける出窓ですが、湿気が多いマルタでは通りを吹き抜ける涼しい海風を効率よく家の中に 取り込むために、出窓を取り付けているようです。
 
   
聖パウロ教会(セントポールの参事会教会)
キリストの12使徒の一人である聖パウロが西暦60年に船の難破によりマルタに上陸、ラバトのこの地にある洞窟に身を隠し伝導を行ったとされるところです。
キリスト教に改宗したローマ人により教会が建てられたといわれており、その後のイスラム侵攻により破壊され13世紀に再建されるも17世紀の地震により倒壊、その後バロック様式で再建されたものです。
 
   
聖パウロのカタコンベ
古代ローマ時代、街の中に死者を埋葬する事が禁じられたことからイムディーナの街の外であるラバトに埋葬していました。そのためラバトの地下には巨大な地下墳墓が広がっています。迷路のような地下に穿かれた穴には死者と共に貴重品や装飾品が埋葬されていたとのことですが、盗掘のためほとんど残っていないとのことです。(カタコンベ内はフラッシュ禁止です。)
ウィキペディアによると、カタコンベとは地下の墓所のことであり、「もともとはローマのサン・ セバスティアーノ・フォーリ・レ・ムーラ教会の埋葬場所のことを意味していたが、死者を葬る為に使われた洞窟、岩屋や地下の洞穴のこと全般を指すようになった。」となっています。
 
   
   
   
マルサシュロック
 
マルタ島の南東部にある海辺のこの村、天然の良港として知られており古くから漁業が盛んに行われています。
 
 
船腹に描かれた「目」
ルッツ(Luzzu)と呼ばれるこの漁船に描かれた一対の目は漁に出た際悪天候や災害などから漁師を守る魔除けのお守りとのこと。
トルコの「ナザールボンジュウ」と呼ばれる目玉のお守りも魔除けとのことですから同じようなものですね。
 
   
 
港には色とりどりの漁船が停泊しています。晴れていればもう少しきれいなんでしょうけど・・・・  
   
マルサシュロック教区教会
2つの鐘楼を持つこの教会、漁村にある教会とのことで中央には船に乗ったマリア像があります。
 
   
    
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