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すかし橋(左)と五大堂(右) 五大堂は、瑞巌寺の境外仏堂で江戸時代の慶長6年(1604年)に建立されており、重要文化財に指定されています。以前にも訪れていたので写真があると思って橋を渡らずにいたところなんと既に処分済みでした。(ドジですね・・・) すかし橋とは変な名前ですが、漢字では「透橋」とかきますのでお判りになると思いますけど、写真では判りにくいですが、橋の床が格子状になっていて、その隙間から5mほど下の海面がのぞける構造となっており、五大堂に参る前にしっかり足元を見て心を引き締めなさいという配慮であるとのことでこの名がついています。 |
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福浦橋と福浦島 | ||||||||||||
双子島 |
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中央にある小さな島は千貫島といい、伊達政宗公が湾内を遊覧した際にこの島の形の和差に感銘し、「あの島を余の館に運ぶ者あらば、銭千貫遣わす」といったことからこの名がついたと伝えられています。(左にあるのは焼島) |
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毘沙門島 | ||||||||||||
鐘島 島には波の浸食によりできた空洞が4ヶ所あることから別名「橋掛け島」とも呼ばれています。 |
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仁王島 波による浸食で顔のように見えるこの島は、奇岩の多い松島でも特徴的な島で、仁王島と呼ばれるようになったとか。 |
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総門 参道の入口に建てられており、切妻造りの薬医門で、正面の扁額には「桑海禅林」と刻まれています。 |
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総門から中門まで約300m参道が続きます。 | ||||||||||||
参道の右側には瑞巌寺洞窟群があります。ここには供養塔や五輪塔などが多くあり、亡くなられた人の供養が行われていました。 |
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国宝に指定されている本堂の、御成玄関上部の欄間には名人左甚五郎による彫刻があります。 |
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石庭 |
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御水主町の民家 水主(かこ)とは水夫のことをいい、仙台藩主達が乗船する御座船を操船した水主たちの街が瑞巌寺近くにあったようですが、この建物は当時のものを保存するため移築復元されています。 |
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どんぐりころころの歌碑 今から70年近く前の子供の時代によく歌った「どんぐりころころ」の歌は、大正時代に青木存義の作詞、梁田定の作曲により作られた歌で、1947年(昭和22年)に小学校の音楽の授業で使われだしてから広く歌われるようになったものです。歌は「日本三大童謡」の一つとして評されており、日本の歌百選」にも選ばれています。 |
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雄島の渡月橋 | ||||||||||||
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御衣黄桜 |
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