マールブルクとカッセル
 
 
マールブルク
 
フランクフルトのホテルから添乗員を含めて6名でマイクロバスに乗りツアースタートです。まずは90kmほど北にあり、ドイツ・メルヘン街道の中間付近となる人口約8万人の町マールブルクです。町は近郊で先史時代の遺跡が発掘ており、また、9世紀から10世紀にかけて城塞が建築され、12世紀半ばには文献に町の名が示されている古い町です。
町の見所はラーン川沿いの丘陵に発展した旧市街にあり、坂の町と呼ばれるほど坂が多く、上ったり下ったりの連続で年寄りには息が切れる町歩きとなります。
 
      
聖エリザベート教会
オーバーシュタットと呼ばれる旧市街にあるこの教会は、1283年に完成したゴシック様式の大聖堂で、聖エリザベートの栄誉を讃えてドイツ騎士団により砂岩を用いて建てられたもので、塔の高さは約80mあり、ドイツ国内で最も古い教会のひとつとなっており、その後建設されたケルン大聖堂のモデルとなっています。
教会は1980年にユネスコの世界遺産に登録申請を行ったようですが、登録が不可のようであるとの情報で、審査前に申請を取り下げています。
   
     

 
  
正面ファサード
  
シンプルなデザインのパイプオルガン
  
聖エリザベートの像
 
     
町の中心であるマルクト広場に続くシュタイン通りの坂道を上ってゆくとモニュメントがあります。
この町にあるマーブルク大学にはグリム兄弟が通っていたこともあり、それを記念するグリム童話のモニュメントのようで、左は「オオカミと7匹の子山羊」、右は「かえるの王様」です。
   
 
     
通りには木骨組で建てられた古い家が何軒もあります。左の家は1897年に建てられたもののようです。    
 
     
旧市街の中心となるマルクト広場
広場はそれほど大きなものではありませんが、周りにお店が建ち並んでおり、16世紀にルネサンス様式で建てられた市庁舎があります。正面の塔屋には天秤秤を持った女神の像があり、更にその上にある時計は仕掛け時計となっていて、毎時審判のラッパが鳴るようになっています。
    
 
     
マリエン教会
坂を上って方伯の城に行く途中にあるこの教会は、プロテスタントの教会で、14世紀の終わりにゴシック様式で建てられたものです。内部は訪れる人も少ないのでしょうか、ひっそりとしてます。
   
 
     
聖エリザベートのレリーフ
マリエン教会からマールブルク城に向かう坂道の途中の城壁に設けられています。
1207年にハンガリー王女として生まれたエリザベートは、政略結婚の具としてテューリンゲン(チューリンゲンとも)のルートヴィヒ4世と14歳で結婚、3児を設けて幸せな生活を送っていました。
夫のルートヴィヒ4世が第6回十字軍に従軍中に死亡した後に居城であったヴァルトブルク城を追われてここマールブルクに移り、聖フランシスコ会に入会してテューリンゲンから化粧料の代金として受け取った2000マルクを寄進して病院を建設し、自身も貧しいながら貧民・病人のために尽して1231年に24歳の若さで亡くなりました。
彼女の死後いくつかの奇跡が起こり、1235年に教皇グレゴリウス9世により列聖されています。
   
       
イノシシの水飲み場
初め豚かと思いましたが、牙があるのでどうやらイノシシのようです。グリム童話に「歌う骨」というイノシシが出てくる童話がありますが、これから来たモニュメントとなってのでしょうか。
鼻の下にある金色に光っているボタンを押すと一定時間水が出る仕掛けとなっています。
   
   
マールブルク城(方伯の城)
坂を登りきって標高287mの旧市街を見下ろすところに建てられている方伯の城にようやく到着です。全体を撮ろうとしても城の前の広場が狭いため撮ることができません。
この城は、10から11世紀に建てられた城館をその後ヘッセン方伯が13世紀の終わりごろに増築したもので、礼拝堂が付属して建てられており、現在は石器時代からこの地域の歴史に関する展示コレクションを収蔵するマールブルク大学文化史博物館の一部として利用されたり、演劇上演、コンサートなどの文化イベントが開催されています。
   
 
   
   
         
ミニチュアの方伯の城のモニュメント
モニュメントにはドイツ語で表記された城の説明と点字の説明が付されています。
ここ以外でもこのようなモニュメントがあちこちで見られ、いずれも点字が施されていました。
   
   
   
マールブルク城の前の広場から見るマールブルク旧市街(右の写真の尖塔はマリエン教会の尖塔)  
   
マールブルク大学旧校舎
1527年にヘッセン方伯フィリップ寛大侯(1世)が創設した最初のプロテスタント大学で、正式名称はフィリップ大学マールブルクといいます。
   
   
マールブルクの観光を終えてカッセルに向かう途中昼食のため立ち寄ったバウナタールのレストランの庭にはなぜか人魚と思しき像が置かれています。人魚といっても像の顔は結構年寄りのように見えますけど…
この像は、ここバウナタールで生まれ、グリム兄弟が童話のもととなる話を聞き取った、メルヘンの語り部といわれた「ドロテア・フィーマン」を模した像のようです。
ドロテア・フィーマンはバウナタールの旅籠に生まれ、宿を訪れる旅人から聞いた話を子供たちに語っていたとのことで、彼女が語ったメルヘンは、グリム童話の第2版に収録されています。


   
     
 カッセル
 
 
午後2時過ぎにカッセルに到着です。ここカッセルの観光はヴィルヘルムスヘーエ(ウィルヘルムスヘーエ)公園です。
ヴィルヘルムスヘーエ公園は、正式名称を『ベルクパルク・ヴィルヘルムスヘーエ(直訳すると「山の公園ヴィルヘルムスヘーエ」)』といい、1700年頃にヘッセン=カッセル方伯カールによりバロック式庭園として設けられ、18世紀から19世紀にかけて一部がイギリス式庭園に造り変えられたもので、総面積は240haあって、丘陵部のものとしてはヨーロッパ最大規模の公園です。
公園の最上部のビジターセンターがある建物の上にはヘラクレス像があり、像の足元から75万リットル以上の水が噴水となって階段状に造られた坂を下ってゆきます。噴水(カスケード)と呼ばれていますけど、人工的なの滝ですね。
訪れたこの日は噴水も行われていず、また、大規模な修復中で大きなクレーンが何本も立ち写真的には今一のものとなりました。
このヴィルヘルムスヘーエ公園は、その文化的景観が認められ「ベルパルク・ヴィルヘルムスヘーエ」として2013年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
右の写真は公園の全体図を表しているものですが、左上のヘラクレス像の足元から水が出て、落差が110m、5段ある階段(カスケード)を経て、右下にあるヴィルヘルムスヘーエ城の池まで約4kmを1時間かけて流れ落ちるそうです。
 
     

   
資料館のある建物の上には巨大なヘラクレス像が  
     
  
  
                     最上部から見た滝の様子    ヴィルヘルムスヘーエ城
 
     
   
水が放出されていないので途中まで下りてみました。左は一段目のところから下のほうを、右は同じところから上を撮ったものです。  
     
午後4時にカッセルを出発して今日の宿があるハーメルンに向かいます  
     
  アウトバーン
片側4車線で、この場所は最高速度120kmと表示されていますが、監視カメラが無ければそれよりもスピードが出ている車もあようです。一般道も町中では50kmの表示のところもありますが、郊外に出ると片側1車線でも70k、80kで走行できるところが多く見受けられます。
因みにドイツ国内のアウトバーンは料金所が全くありません。すべて無料で通行できます。どこかの国とは全く違います。
 
   

                      ヨーロッパカエデの有翼種子
 
 
        
        
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